「まんぷく、まんぷく」
オッサンのようにぺちぺちと満足げに腹を叩き、刹那は根城である廃ビルの屋上で悠々と仰向けになる。
仰ぎ見る空は深くて青い。
この空は一太郎が住んでいる鄙にまで続いているのだろう。
そこはどんなところだろう?
ここよりはましな世界だろうか?
まあ、永遠に『掃き溜め』を出ることはない自分には関係ないが。
この都市で生まれ育ったのだから、死ぬ時も此処なのだろうと漠然と思うだけだ。
「せーつなっ」
「ぐふ」
腹の上に何かに飛び乗られ、口を押さえる。危うく昼飯の唐揚げが飛び出るところだった。
誰かなどと確かめるまでもなく声でわかる。この中では新参者の刹那と言えど、一年はこの子たちと一緒に居るのだから。
「慶太、食後は腹に乗らない。吐く時は慶太の上」
「刹那はいやしいから、一度口にいれたものを出したりしねーよ」
刹那の腹の上に跨がるように座って、キヒヒと下品な笑い声をあげるのは慶太だ。
「タロと遊んでこなくていいの?」
確か、年少組は昼食が終わってからは一太郎と………一太郎『で』遊んでいる。
久々のお客様。しかも、バカみたいに人が良さそうな一太郎は子供たちのいい玩具だ。
「男と遊んでなにが楽しいんだよ?」
「………慶太、いつもそれ」
刹那の腹に座って胸を反らす慶太に、呆れて溜息をつく。
この歳で女好きな子供もそう多くはいないだろう。
「なにしに来たの?」
「昼寝しにきた」
そう言うと、刹那の上で俯せになる慶太。
「なぁ、刹那」
「ん?」
「理央姉、まだ見つからないのか?」
きゅうっと刹那に抱き付いて、不安そうに呟く慶太。
理央が行方不明になってから二か月。
初めの頃は一日何回も理央のことを言ってきた子供たちだが、今では避けるようにその話題を出さなくなった。
『見つからない』と言ういつも通りの台詞を聞く落胆と………受け入れられない台詞を聞くかもしれないという恐怖から聞けないのだろう。
「ごめんね。一生懸命探してるけど、まだ見つからない」
慶太の頭を撫でて、さらりと嘘をつく。
いや、嘘ではなかった。理央の行方は知っているが、理央自身は見つかっていないのだから。
嘘はついていない。ただ、真実を隠しているだけ。
「そっか……」
慶太は小さな声でそれだけを言うと黙り込んでしまった。
蓮李より下の子供たちは、何も知らない。理央がどうなったのかも、刹那たちが今していることも。
真実を告げてと末葉は言った。
嘘で誤魔化すべきだと縹は言った。
今はまだわからないと大和は言った。
刹那は………何も言わなかった。
真実を告げることも、嘘で誤魔化すことも今は必要ではない。
必要なのは、理央を取り戻すこと。それだけだ。
流れ行く雲を眺めていると、規則正しい寝息が聞こえてきた。子供ゆえに寝付きはいいのか、慶太はすぐに眠ってしまったようだ。
確か、一太郎を送るのは夕方だ。その間は特にすることもないし、慶太と一緒に寝てしまおう。
「刹那」
瞼を下ろそうとした途端に聞こえた声。どうせなら、寝ると決心する前に来てほしい。
見上げた視界には、すぐ傍に立っている縹。
「大和にご飯を持ってったんじゃないの?」
「末葉が持って行くそうです」
先程の食事会に大和は姿を見せなかった。
いつものことだ。人を傷付けたりした次の日は、食が進まなくなる。
呆れるくらいに神経が細いのだ。時折、よくも独りで生きてきた時代があったものだと感心する。
「そう。末葉がフォローしてるといいね」
お人好しな大和と、どんな相手にも平等に優しい末葉。
刹那と縹では理解出来ない大和の感情も、末葉ならばわかってやれることだろう。
「で?悪人のわたしたちは、なにを話し合うの」
慶太を起こさないよう胸に抱いて身を起こし、無表情のまま縹を見上げる。
大和と末葉が良心ならば、刹那と縹は悪心とでも言うところか。
お人好しで優しい二人では思い付きもしない方法で、仲間を守るのが役目だ。もちろん、内緒話が前提だ。蓮李や那智の手を汚させるわけにはいかないから。
縹は無表情のまま、いつもの如く単刀直入に言った。
「砺波一太郎をどう思いますか?」
「タロ……を?」
茶色の髪を後ろで結った、脳天気な少年を思い出す。
鄙出身らしくお行儀の良くて見事に平和ボケしている性格。
ひ弱そうで戦力にはならないのは確かだが……。
「わたしは使えると思う。縹は?」
「同意見です。臆病ですが、相手を見る目は冷静だと思います。適応能力もかなり早いようですしね」
「あと、気配を消す……というよりは人に気づかれないのがうまい。わたし、見られてたこと気づかなかった」
昨夜はいつから居たのかと尋ねてわかったものの、それまでは一太郎がいることにまったく気付かなかった。
人の気配を捉えられなければ、待っているのは死しかない世界に生きてきた刹那にとって信じられないような大失態だ。
あの時、一太郎をからかった理由の半分は気配に気付かなかったことの八つ当たりだったりもする。
「たまにいる、一太郎のみたいな人」
「存在感のない人ですね。背景に同化しちゃうんですよね」
「……伝令役に使えそう」
気配がないので、いなくなっていても気付かれなさそうだ。
それに頭も悪くないし、機転も利きそうだ。
「好奇心が強いみたいですから、引っ張り込んでみましょうかねぇ」
渇いた唇を舐めて湿らし、口角を上げる縹。
仲間は………協力者は多いに越したことはない。
折角、全面戦争を仕掛けたこの時期にカモが現れたのだ。利用しない手はない。
「大和は反対するね」
「だから、バレないようにするんですよ」
「悪知恵、働かせてね」
刹那は相変わらず無表情のまま、縹は綺麗に笑って。拳と拳を突き合わせる。
「ただ協力をあおぐだけじゃ、大和が承知しないよ」
「わかってます。だから、タロさんも巻き込む形を取ることにしました。刹那は慶太を置いてきて、昨日と同じ服を着て居間に来てください。武器を忘れないように」
既に色々と策を考えてあったのか、それだけ言い残して縹は足早に屋上を離れて行った。
「さすがは参謀。行動がはやい」
「んぐぅ〜……」
慶太は二人の企みにも気付くことなく、スヤスヤと安らかな寝息を立てている。穏やかな寝顔を見つめ、刹那の頬も僅かに緩んだ。
慶太の頭を撫でながら、脳裏に映るのは一太郎の顔。
同じ年頃の少年だというのに、まるで対局の位置にあるかのように平和な世界で生きてきた少年。憎しみや妬みを覚える前に、邪気のない性格に好感を持った。
関係のない人間を巻き込むことを悪いと思わないわけではない。一太郎のように素直で善良な人間ならば尚更だ。
けれど、後悔はなかった。
見知らぬ誰かを犠牲にしても、好んだ人間を巻き込んでも、守りたいものがある。
この手に抱く温もり。今の小さくて温かい幸せを守るためなら何でもしよう。誰を犠牲にしたとしても、たとえ鬼と罵られようとも。
後悔も懺悔もしない。
今出来る最良の選択で、道を切り拓いているのだから。
「死なないようにちゃんと守るから。ごめんね、タロ」
一太郎の耳に届かぬことを承知の上で、蒼空に向かって吐き出した。
2009/11/1