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2009/06/12 掲載
2章 : 知らない世界 5
「うわぁーうわぁーうわああぁぁ〜」
「口開いてんぞ、テメェ」

腕に抱き上げているディア・ガディアスの指摘に、尊は慌てて口を閉じる。改めて目にした異世界というものに、ついつい我を忘れてしまっていた。
森の中を二時間半ほど彷徨い続けた尊たちは、漸く人里に辿り着くことが出来た。
二時間半というのは当てずっぽうではなく、腕時計をもとにした時間なので正確なものだ。
ちなみに時計を見て驚くかと思ったテオドシウスは、小型であることには驚いていたものの普通に時計というものを認識していた。ディア・ガディアスやテオドシウスの話を聞いて尊が推理したところに因ると、ネフィーリアという世界は地球でいう中世ヨーロッパと同じぐらいの文明を持っているようだ。
そう言えば、街の様子もクライヴが着ていた鎧なんかも歴史の教科書の挿絵に載っていたものによく似ている。ただ時計に描かれた数字にテオドシウスが興味津々だったので、当然ながら文字文化は全く違うらしい。

「街につけてよかったね、ミコト」

微笑むテオドシウスに尊は興奮の冷めぬ顔で頷く。
森の中でも地球……少なくとも日本にはいない昆虫や鳥などを見たが、こうして文明の利器を見るのは感慨もひとしおだ。ファンタジーの世界がそのまま登場したかのような町並みには嬉しくすらなってしまう。

「テオはこの街に見覚えはある?」
「見覚えはないけど、僕の国の中なのは間違ないよ。ほら、そこに戦乙女(セラフィム)像があるでしょう」
「セラフィム像?」

テオドシウスが指差す先に目を移し、尊は足を止めた。
そこにあったのは、剣を掲げる女性の像。短い髪をしていたが、胸の膨らみはどう見ても女性だ。それなのに、何故か鎧を着ている。一点を睨むような厳しい瞳。
女性の姿だというのにまるで戦士のようだ。

「この像は?」
「僕の国……ノルマールの伝説にあるセラフィム、つまり戦乙女。ノルマールの守り神とも言われていて、国内のどこの街にもあるんだよ」
「へぇー。戦乙女かぁ」

伝説と言うことはギリシャ神話の神様たちみたいな存在なのだろうか。戦乙女というぐらいなのだから、守り神には相応しいだろう。像を見る限りでは、とても戦という言葉が似合う女性には見えなかったが。
首を捻った尊は、戦乙女(セラフィム)伝説とやらを尋ねようとテオドシウスに声をかけようとする。
けれど、喜びと憂いがごちゃ混ぜになったような複雑な表情で像を見つめるテオドシウスに反射的に口を閉じた。
正反対の感情が入り交じった顔。どうして守り神と言われる像を見つめて、そんな表情を浮かべるのかが分からなかった。

「………テオ?」

そっと声を掛けて見ると、テオドシウスが振り返る。そこには眩い天使の微笑み。先ほど見た表情が嘘だったかのように、元のテオドシウスの表情だ。
でも、見間違いだったはずがない。
像を見つけて自分の国だと分かった安堵と、家が恋しい悲しみからあんな顔をしていたのだろうか。心配になって大丈夫かと訪ねようとすると、テオドシウスが尊を指した。正確には尊の後ろを、だ。

「市場がある。わりと大きな街みたいだね」
「市場?」

釣られるように振り返った尊の視界に広がる光景に、きらきらと目を輝かせて辺りを見渡した。テオドシウスのことはすっかり頭の外へと飛んでしまう。
大きな噴水のある広場に、たくさんの露店が集まって市を開いている。
八百屋や魚屋と定番の物もあれば、薬屋やアクセサリーなど様々な店が集まっている。アクセサリーや洋服も目を引くが、特に尊を引き付けたのは八百屋や魚屋だった。
トマトや鯛など見覚えのあるものがあるかと思うと、菱形の野菜や透き通った虹色のヒレの魚など全く見たことのないものが売られていた。
地球とはどこか重なっているようで、何かがずれているようだ。

「あの串焼き、美味しそう……」

尊が凝視するのは、美味しそうな匂いを運んでくる串焼きの店。
炙られた肉は網の上でポタポタと肉汁を落としている。なかなかに食欲をそそる光景である。
口に中にじゅわりと唾液が溜まる。そういえば、こちらの世界に来てから泉で喉を潤しはしたが何も口に入れていない。(実は森の中でおいしそうな赤い木の実を見つけはしたが、食べると腹を壊すと言うことで諦めた)

「テオ、お腹減ったよね?」
「うん。お昼ご飯食べてないから………」

ネフィーリアの今の時刻は1時くらい。テオドシウスが太陽の位置から割り出した時間だ。
テオドシウスにとっては昼飯のようだが、尊にとっては遅すぎる夕飯だ。ケーキはとっくに消化しているから、腹が減るのも自然の摂理である。

(あたしとテオときゅーちゃんと……ポン太は食べるのかな?まぁ、四人分くらいなら足りるよね)

財布を取り出そうとしていた尊は、そのまま動きを止める。財布の入った鞄はあの石作りの建物の中だった。
いや、その前に世界的に信用のある日本円でも、流石に異世界ではただの紙切れでしかない。

「テオ、お金って持ってる?」
「持ってないよ。部屋にいたから、必要もなかったし………」

確かに自分の部屋にいてお金を持つのは変だ。財布など鞄の中に入れっぱなしと言うのが普通だ。
しかし、テオドシウスもお金を持っていないとなると困った。このままでは飢え死に一直線だ。こうなったらどこか店にお手伝いをするからご飯を食べさせてもらうよう交渉してみようか。
考え込んでいる尊の耳に人のざわめきが届く。考えを中断して何事かと顔を上げた。

最初に目を引いたのは朱色のマント。ふわりと風になびく姿も美しさに目を瞠る。
マントを羽織り甲冑を身につけた男が二人、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
鎧を付けた人間を見るのは2回目だが、先ほどのオカルト集団とは違って仮面や兜を被っていないので顔も分かる。
一人は空の色に近い青い髪をした男で、もう一人は金髪……というよりは蒲公英色の男だ。遠目なのではっきりと顔は分からないが、なんともファンタジーな髪の色である。

「どうして、黄昏の騎士団(トゥワイル)がこんなところに………」
「この時期に皇都を離れてどうしたんだ?」

周囲の人々の会話を拾い、彼らがトゥワイルと言う人たちでこの地には縁のない人物なのだと知る。
この近くに住んでいないのにみんなが知るほどに偉い人たちならば、テオドシウスが誘拐されたことを相談すれば助けになってくれるだろうか。

「ねぇ、ミコト。今、黄昏の騎士団(トゥワイル)って―――」

きゅーちゃんを抱っこしたテオドシウスが尊の影から顔を出した瞬間、二人組がこちらを見て顔色を変えた。

「えっ!?」

一瞬、こちらに何かあったのだろうかと辺りを見回すが、彼らの視線は間違いなく尊たちを見ている。周囲にいた人たちが尊たちから距離をとるほどに。
セーラー服を着ているのでこの中世風の世界では目を引く存在かもしれないが、だからってそこまで驚愕の表情を浮かべる必要はないだろう。
ちゃんと森の中で見つけた泉に立ち寄って、血も洗い流したから変なところはないはずだ。多少、制服には染みになって残ってしまったが。
しかし、よく見て気付いた。二人が見つめているのは尊ではなく、その背後にいるテオドシウスだ。
尊の脳裏に、先程のオカルト集団とのやり取りが思い浮かぶ。まさか、こいつらもクライヴたちの仲間なのか。
慌てた様子でこちらに走ってくる男たちに、尊はスカートのベルトに挟んでいた木刀の柄に手をかける。

「ポン太、ちょっとごめん」
「うをっ!?」

言うが早いか、尊は両手を空にするために抱いていたディア・ガディアスを投げた。
『てめェ、ふざけんなぁぁぁ!!』と叫ぶディア・ガディアスの落下を見届けずにテオドシウスを隠すように背後に庇うと、抜いた木刀を構えて男たちを睨み付ける。
男たちは歩みを止めて鋭い瞳で尊を睨み付けた。

「貴様、何者だ!?」
「それはこっちの台詞だよ!あなたたち、クライヴさんの仲間なの!?」

腰に差した剣に手を掛ける青髪の男。まだ鞘から抜いていないだけ、オカルト集団よりはこの人の方が理性的とも言えるか。
けれど、油断するわけにはいかない。尊は威嚇のために木刀を突きつける。

「おや、まあ。威勢のいい子じゃないの」

蒲公英髪の男がニヤニヤと笑いながら尊を見下ろす。こちらの方が青髪より年上らしい。いくら木で出来たものといえ、武器を突きつけられているのに余裕綽々な態度を崩さない。
1対2の上に木刀と剣では分が悪い。
こうなれば先手必勝。さっさと一人潰して、もう一人の相手をしなければ―――!

「ライ!マーチ!?」

青髪の男を狙って足を踏み出した途端に、背後から聞こえた声。

「え……?」

どう考えても目の前にいる二人の名を呼んでいると思われるテオドシウスの反応。思ってもいなかった事態に尊は目を見開いて木刀を降ろした。

「………まさか、知り合い?」

確認しようとテオドシウスを振り返り、

「テオドシウス皇子!」

尊は青髪の男に背後から突き飛ばされた。

「きゃんっ」
「うぎゃっ!」

地面の上に勢い良く投げ出される身体。先程投げて下にいたディア・ガディアスがクッションになり、大きな怪我を回避することは出来た。

「あたた………」

何が何なのか。
痛む身体を起こしながらテオドシウスへと顔を向けると、

「皇子!よくぞ、ご無事で………」

青髪の男に抱き締められているテオドシウスの姿があった。
いい大人が地面に膝をつき、子供を抱き締める光景に尊は目が点になる。切羽詰まった様子の男とは対照的に、蒲公英髪の男は安堵したような笑みを浮かべてテオドシウスの髪を撫でた。

「なんもされなかった、坊ちゃん?」
「うん。大丈夫だよ、マーチ。僕は元気だからライも落ち着こう」

ライと呼んだ青髪の男の背中を慰めるように優しく叩くテオドシウスは、本当に人間が出来ている子供だ。
いや、その前に………。

「あの、テオ。その人たちはお知り合いなの?あと、テオが………」

『皇子様ってどういうこと?』
尋ねようとした尊の首筋に

「―――っ!?」

剣の切っ先が突き付けられていた。

「貴様か。テオドシウス皇子を勾引したのは………」

怒りを押し殺した低い声音でライが尊を睨み付ける。それこそ、視線だけでも殺されてしまうのではないかと思うほどの殺気を込めて。

「う、あ………」

尊の額から滝のような冷汗が流れ落ちる。
いくらライに意識を向けていなかったとはいえ、抜刀がまったく見えなかったのだ。
動けば………いや、口を開いた瞬間に殺されてしまう。

「目的はなんだ。言わねば斬る」

そう言われても殺気立った男に、喉元に剣を突き付けられてまで話が出来るほど女子高生の根性は据わっていない。
完全に硬直してしまった尊を救ったのはテオドシウスだった。

「やめて、ライ!ミコトは僕を助けてくれたんだよ!!」

飛び付くようにライの腕にしがみつくと、尊の無実を必死で言い募る。

「助けた……?」

テオドシウスの言葉に困惑を示し、ライはすぐに尊の首に突き付けていた剣を下げる。テオドシウスはホッと息を吐き出すと、ライの腕を引いて自分の方を向かせる。

「僕を攫ったのはミコトじゃないんだ。黒い仮面を付けた人たちで………」

ライに起こったことを説明するテオドシウスを横目で見ながら尊は首を押さえた。テオドシウスがすぐに止めてくれなければ死んでいたかもしれない。
クライヴたちのことといい、先ほどのことといい、普通の女子高生にはハードルが高すぎる。
尊はよたよたと力なく二、三歩下がり、壁に背中をぶつける。
しかし、両肩を掴まれて、ぶつかったのが壁ではないと理解した。

「えっ?」

顔を向けるとマーチと呼ばれていた蒲公英髪の男が尊の身体を支えていた。

「大丈夫ー?ごめんね。うちの相棒、手が早くて」

毒気のない笑顔を浮かべて、まるで恐怖を解すようにミコトの肩を揉むマーチ。
この人は、ライのように行き成り斬りかかってはこなさそうだ。いや、彼も勘違いしたから斬りかかってきたのだろうけど。

「は、はい。大丈夫です。その……少しびっくりしたけど」
「だよねー。いつもは女の子に剣を向けるようなヤツじゃないんだけど、大事なテオドシウス皇子が誘拐されたもんだからパニクっちゃったみたい」
「皇子……」

この人もテオドシウスのことを皇子と言った。流石にもう聞き間違いで済ますことは出来ないようだ。
皇子と言うと、お伽話には必ずと言っていいほど出てくるあの皇子様のことだろうか。カボチャパンツと王冠を身に着けているのが皇子だと思っていたが、最近の皇子はどうやら違うらしい。
一体、何がどうなっているのやら。
ぐるぐると色んな思いが頭を巡り、頭が痛くなってきた。ついでに空腹も限界だ。

「ミコト様!!」

名前を大音量で、しかも生まれて初めて様付けで呼ばれた。
目の前で、自分より頭一つ分背の高い男が地面に片膝を着けて頭を下げている。

「ミコト様、先程は失礼致しました!テオドシウス皇子のお命を救って下さった方に刃を向けるなど……っ」
「ちょっ、頭を上げてください!さっきのはいきなり木刀を向けちゃったあたしが悪いですし………」

相手が何者なのかも確認しないで木刀を向けたことは褒められることではない。いくら焦っていたとはいえ、これではオカルト集団たちがやったことと変わらない。ライが謝る必要はないのだ。
そして、大人の男を跪かせるなど居心地が悪い以外の何物でもないので早く立ち上がってほしい。
バタバタと手を振るが、ライは膝どころか頭すら上げてくれない。

「あの子供、何者なんだ?」
黄昏の騎士団(トゥワイル)を跪かせるなんて……」

周囲ではざわざわとざわめきが聞こえる。街の人の注目も浴びているとくれば、早くこの場から去りたい気持ちで一杯だ。

「私に何でもお命じ下さい。お詫びなどと言うのもおこがましいですが、せめてもの償いをさせて下さい」

言うことがいちいち大袈裟だが、本当に先程のことを悔いているらしい。悪い人ではないのは分かったが対応には充分困る。

「償いなんてオーバーな……。あたし、怪我一つしてないのに」

怪我をしたのはポン太だ。
そろりとディア・ガディアスに視線を移すと、未だ地面に倒れている。身動きしていないので気絶しているのかもしれない。死んではいないだろう……多分。

「いいじゃん、ミコトちゃん。折角だから、何でもお願いしちゃいなよ」

そう言って、マーチが尊の頭をクシャクシャと撫でる。
尊が困り切った表情でマーチを見上げると、彼はとても晴れやかな笑顔を浮かべている。その笑顔だけですべてを悟った。
マーチは絶対に面白がっている。

「いや、何でもって言われても………」
「ミコト様が望むのなら、この命を絶つことも致します」
「それはいい!っていうか、絶対にやめて!!」

何処まで真剣なのだろうか、この人は。恐らく全て真剣なのだろう。
ともかく何でもいいから頼み事をしないと穏便に済ますことが出来なさそうだ。適当に誤魔化して、腹を掻っ捌かれた日には心の底から困る。
何か、何かお願い事を………。
そして、尊は今一番の願いを思い出した。

「あのっ………ご、ご飯をおごってくださいっ!!」

尊の切なる叫びは広場中を木霊した。
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