たくさんのたくさんのあか。
おそらもじめんも。あたしのしろいわんぴーすもまっかになっていた。
いろんなにおいがする。
ちのにおい。ほのおのにおい。なまぐさいにおい。がそりんのにおい。ぷらすちっくがとけるにおい。
ほのおがちかづいてくるからにげなきゃいけないのに。
せなかがおもたくてうごけない。
だれかがさけんでる。さけんでいるのはあたしのなまえ。
おへんじをしなきゃいけないのにこえがでない。
かおをあげるとだいすきなひとのすがた。
おとうさん、おかあさんがいないの。
そういったあたしのこえはちいさくておとうさんにはとどかない。
せなかがおもくておとうさんのところにいけない。
こっちにはしってきたおとうさんがあしをとめる。
おとうさんがちかよっていったのはたおれていたこども。
こどもをだきおこそうとしたおとうさんはうえをみあげて。
こどものうえにおおいかぶさった。
うえからなにかふってきておとうさんとこどもがきえる。
…………おとうさん?
せなかがおもい。
おとうさんのもとにいかなきゃいけないのに。
せなかがとてもおもい。
うーってうなってくびをよこにむける。
てがみえた。あたしのてよりもおおきなて。
このてにあたまをなでてもらうのがだいすきだった。
おかあさんのて?
ゆっくりとくびをひねってせなかをみる。
そこにはみなれた―――。
◇◆◇
「――――――っ!!」無理やり瞼を押し上げた。何故なら、自分の意志で目覚めることには慣れていたから。
「うっ………!」
急な吐き気に襲われて口を押さえる。
喉の奥から逆流してきたものを無理やり飲み下して、震える手で蒲団の上を手探りで捜す。すぐに手の平に伝わるよく知った感触に強張った表情を緩めると、それを引き寄せた。
縋るようにぎゅうっと抱き締めると、
「いきなり何をしやがる!!」
「わあぁっ!?」
抱き締めたポン太が暴れたので、尊は慌ててポン太を手放した。
事態が呑み込めなくて目を瞬くしかない尊を見下ろすのは、機嫌悪そうに枕の横で仁王立ちしているポン太。
(な、なに!?なんでポン太がしゃべって動いて―――)
そこまで考えて、ようやく頭がはっきりしてきた。
思い出した。尊の前にいるのはポン太の身体に乗り移ったディア・ガディアス。
そして、尊がいるのは地球ではない、ネフィーリアという別世界だった。
「夢オチだと思ったんだけどなぁ……」
「んなわけねェだろ」
踏ん反り返って見下した視線をくれるディア・ガディアスを見る限りは、残念ながら『んなわけねェ』ようである。心臓には悪かったが、夢の内容を考えなくて済んだのでよかった。
尊は身体を起こすと動悸の早くなってしまった胸を押さえ、一つ深呼吸をする。
そして、目の前に立つディア・ガディアスに状況を尋ねることにした。
「ねぇ、ポン太。あたしなんでこんなところに寝てるの?」
「あァ?」
「何処かの街でご飯を食べてた……違う、兵士が人を襲って………っそうだ!テオとお姉さんは無事なの!?」
半身をバネのように起こして尋ねた。
記憶を辿っていくと、グリフォンから二人を庇ったところで途切れている。自分がここで寝ているということは、まさかとは思うが気を失ってしまったということなのだろうか。
なんでそんな大事な時に気を失ったのだろうかと、ぐしゃぐしゃと苛立ち紛れに頭を掻き乱す。
「テメェ……何も覚えてねェのか?」
「―――まさかテオに何かあったの!?」
意味深長な一言を告げたディア・ガディアスの胴体を掴むと、尊はベッドに押し付けた。
「うぉっ!離せ、バカ女っ。ガキも女も無事だっつーのっ!!」
ばたばたと暴れながら叫んだ台詞に、尊はすぐにディア・ガディアスを解放する。
テオドシウスたちが無事だった。安堵の息を吐き出したところで、ディア・ガディアスに頭を蹴られた。
「あだっ!」
綿の塊だと言うのに、これがなかなか痛い。その前に、なんでぬいぐるみにこんなジャンプ力があるのか謎だ。
「俺様に手を出そうなんて百兆年早い!身の程を知りやがれ、バカ女」
「ごめんてばっ。ただ、テオの安否が知りたかったから……」
確かに乱暴なことをしてしまったことは事実なので尊は素直に謝った。
けれど、つい唇を尖らせてしまうのは思い切りやり返されたせいである。
「本気で理解できねェ女だな。会って数時間のガキ如きを心配するなんてバカか、テメェ?」
嘲るような口調で鼻を鳴らすディア・ガディアスに、尊の眉間に皺が寄った。
人にはそれぞれ考え方があるから理解出来ないのは仕方がないが、こんな風に馬鹿にされる言われはない。
「出会った時間なんて関係ないよ。あたしはテオが好きだから心配するし、助けるよ。普通はそうじゃないかな」
「………人っつーのは奇特な奴が多いからな。けどな、テメェの場合は常軌を逸してんぞ。あのガキとまともに会話してねェうちから命なんて懸けられねェだろ」
「仕方ないよ。頭で考えるよりも身体が勝手に動いちゃうの」
「本気でバカなんだな、テメェ」
しみじみと……心底馬鹿にした口調で呟くディア・ガディアスに、またしても尊はムッとしたが取り合わないことにする。
それよりも気になることがたくさんある。
「で、ここはどこ?テオやライさんたちはどこに―――」
言いながら辺りを見渡した尊は、声を失った。
思わず『ごめんなさい』と頭を下げてダッシュで帰りたくなる。それだけ場違いな場所にいたのだ。
寝ている場所は天蓋付きのふわふわ柔らかなベッド。置かれている調度品は家具屋ではなくアンティークショップとかに売ってそうな代物である。部屋の広さは、どう見ても峰岸家の全室を合わせたよりも広い。
まさに『お姫様の部屋』というに相応しい。
「あわわ……」
すっかり威勢を挫かれてベッドの上で縮こまる。
何でこんなところにいるのだろうか。女の子としてちょっとした憧れはもちろんあったが、実際にこんな部屋にいると申し訳ない気持ちになる。
(自分のような一般庶民がこんな素敵なお部屋にいてすみません!!)
自分でもよく分からない誰かに向けて必死の謝罪をしていると、扉が開いて誰かが入ってきた。
「ミコト、目が覚めたんだね!」
「テオ?」
ばたばたと足音を立てて尊に駆け寄ってきたのはテオドシウスだ。ベッドの上に座り込んでいる尊に飛びついてきた。
「大丈夫?痛いところはない?」
眉を寄せて心配そうに尊の顔を見上げるテオドシウスを、尊は笑顔を浮かべてむぎゅうと抱き締めた。
「あたしは大丈夫だよ。それよりもテオが無事でよかったぁ」
ディア・ガディアスが無事だとは言っていたものの、話を聞くのと自分の目で確認するのでは安心感が違う。
「坊ちゃんよりもミコトちゃんの方にびっくりしたよ。いきなり気を失っちゃうんだから」
「うわ、マーチさん!?」
苦笑しながら尊の頭を撫でるのはマチェイ。彼もテオドシウスと一緒に部屋に入ってきていたらしい。テオドシウスに気を取られていて、まったく気付かなかった。
マチェイの隣に人が立っていたのでライラークかと思い視線を向けると、そこには見たことのない女性が立っていた。
シスターのように髪の毛を隠したフードを被り白いローブを纏った、柔和な顔立ちの女性。目が合うと優しげな微笑を返される。
不思議そうに目を瞬いていると、マチェイが女性を紹介してくれた。
「この人はセリーヌちゃん。治癒師の見習いだけど、腕は確かだから」
「セリーヌ・コーマックです。初めまして」
「あ、はい!あたしはミコト・ミネギシです。よろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします」
ふわりと花が綻ぶように笑う姿は、とても可愛らしい。雰囲気は落ち着いているが、もしかするとまだ若いのかもしれない。
「ごめんなさいね、ミコト様。テオドシウス皇子を救ってくださった方の治癒……本来ならばウィンターソン先生が診察に当たるべきなんです。けれど、まだライラーク様の治癒が終わらないものですから、私が代わりに………」
そう言いながら、尊の腕を取って手首の脈を計るセリーヌ。
治癒師というのが地球で言う医者に当たると言うことが分かると同時に、ライラークの治癒という言葉に目を見開いた。
「ライさん、怪我したんですか!?」
自分もテオドシウスも無事だったので、てっきりライラークもマチェイも無事だと思い込んでいた。まさか怪我をしているなんて知らなかった。
「………ミコト、何も覚えてないの?」
「え?」
覚えてないというのはどういう意味だろうか。
テオドシウスだけではない。マチェイも眉間に皺を寄せて尊を見つめている。
「ライさんが怪我したの、あたしが気を失う前……だった?」
そんな重要なことも覚えていなかったのだろうかと呆然と聞き返す。
尊が覚えているのは、グリフォンが襲ってきたところまでだ。そこから先はぷっつりと切れている。
(でも、あたしはライさんが怪我をしたところを見ていたの?)
だとすれば、どうして何も覚えていないのだろう。
不安になってテオドシウスとマチェイの顔を交互に見つめる。テオドシウスは何かを考えるように俯いたが、すぐに優しく微笑んだ。
「きっと動転してたから忘れちゃったんだよ」
「動転して………?」
「グリフィンが襲ってきた直後だったし、ミコトはその後すぐに気を失っちゃったから。ね、マーチ」
「そうそう。むしろ、あそこまでよく頑張ったと思うよ。グリフォンから坊ちゃんを庇おうとしただけでも凄いド根性」
マチェイにぐりぐりと頭を撫で回されて、尊はホッと安堵の息を吐き出す。
言いようのない不安から解放された気分だった。
「それで、ライさんの怪我の具合はどうなんですか?」
「神経に達していませんし、治療が早かったので大事には至りません。先生の治癒なら傷痕も残りませんよ」
「よかったぁ……」
「ミコト様もお怪我が軽いようでよろしかったです」
セリーヌは尊の擦り傷だらけの腕を取った。
目立った怪我は殆どないが、弾き飛ばされたり転がったりしたせいで細かい傷が無数にある腕。
「あら、これは深いですわね………」
顔を曇らせてセリーヌが見つめるのは、女の子にしては少々固い尊の手の平。
そこにはクライヴの短剣を掴んだときに出来た裂傷がある。加減などしないで刃を握りこんだせいで、ぱっくりと二つに裂けている。
無我夢中ですっかり忘れていた。よくもこの手で木刀を握っていられたものだと自分事ながら感心してしまう。
気付かなかったときは痛みなど感じなかったが、こうして傷を意識すると途端にじくじくと痛み出す。
消毒してもらえるのかと思いセリーヌに目を移すが、彼女は救急箱のようなものは何も持っていない。全くの手ぶらだ。
首を傾げる尊に微笑みかけてから、セリーヌは尊の手を取ったまま瞼を閉じる。その口から漏れるのは小さな詠唱。
「わっ」
尊の手の平に光が集まっている。蛍光灯のような人工物の明かりではなく、柔らかい蛍のような光。
「熱っ!!」
傷口に熱が走った。
火傷をするんじゃないかと思うほどの熱量に、手を引っ込めようとするがセリーヌがそれを許さない。細腕に見えて、意外と力がある。
「あちち!あつ、あっついっ!!」
ついに我慢の限界がきて、尊はセリーヌの手を振り払った。
火傷をしたのではないかと思って手の平を見る。そこには火傷どころか、短剣で出来たはずの傷口すら消えていた。傷があったとは思えないうっすらと白い線が残るだけだ。
傷のなくなった手の平を翳して目を丸くする。もちろん痛みもない。
「え、うそ!?なんで!?」
「あら、ミコト様は治癒を受けられるのは初めてでしたか?」
呆気に取られている尊を、セリーヌは不思議そうに見つめる。
不思議なのはこっちだ。いくら日本の医療が発達しているとは言え、こんな風に傷痕を消すなんて芸当は出来ない。
テオドシウスもにぎにぎと手を開いたり閉じたりする尊を、首を傾げながら見上げる。
「『チキュウ』には怪我を治してくれる人がいないの?」
「いや、いるにはいるけど。こんな綺麗に短時間で治してくれる人はいないかな……」
「そりゃそうだろ。地球には
すっかり存在を忘れていたディア・ガディアス。ベッドに横になり、頭だけを手で支えると言うおっさんスタイルでこちらを眺めている。
「どういうこと?」
「
「精霊の力を使って治療かぁ……。それって、すっごい便利だね」
車もパソコンも文明の利器と呼べるものは何もない世界だが、もしかすると地球よりも遥かに発達した世界なのかもしれない。
「まあ、ミコト様はお利巧さんなぬいぐるみをお持ちなんですね」
感心しながら手の平を観察する尊の背後から弾むようなセリーヌの声が聞こえた。
マズイっと思ったときにはもう遅い。
「テメッ………誰がお利巧さんだぁぁぁ!!」
セリーヌに突進するディア・ガディアスを慌ててキャッチした。
確実にセリーヌに危害を加えるであろうディア・ガディアスを、尊は宥めながら胸に抱きこむ。
「まあまあ、ポン太ってば落ち着いて」
「ふざけんじゃねェ、バカ女!離さねェか!そいつを殴らせろ!!」
「目と目が離れているところがとても可愛らしいです。ミコト様、お洋服とかは着せないんですか?」
「何がお洋服だ、テメェ!!」
「私、ペットのお洋服を作るの得意なんですよ。実家の猫にも着せているんです」
「誰がペットだ、こるぁぁぁぁぁっ!!」
セリーヌはディア・ガディアスの神経を逆撫でる台詞を連発する。
けれど、キラキラと輝く瞳を見るところ悪気は一切ないようだ。本人はどこまでも自覚なくディア・ガディアスに喧嘩を売っている。
「セリーヌちゃん、小さくて動くものが好きなんだよね」
「物好きですねぇ………」
尊に押し止められながらも大暴れするディア・ガディアス。その頭に顎を乗せてポツリと呟く。
ここまでキレまくっているディア・ガディアスを見て微笑んでいられるセリーヌはかなりの強者だ。尊だって人の頭を容赦なしに叩いてくるポン太を、さすがに可愛いとは思えない。
「あ、そうそう」
話題を変えるように明るい声を出したマチェイに、尊はディア・ガディアスとセリーヌのやり取りから視線を外す。
傍らに立つマチェイを見上げると、彼はとても成人男性とは思えない屈託のない笑顔を浮かべて、尊を見下ろしていた。
「ミコトちゃんの具合が良さそうなら連れてきてくれって陛下に頼まれてるんだけど………大丈夫そう?」
「へーか?」
聞きなれない言葉に、尊はぽかんと口を開けてマチェイを見つめた。