ちらりと横目で周囲を確認すると、軽い眩暈に襲われて尊は空いた片手で額を押さえた。
なんなのだろう。この豪奢な景観は。どう見たってこれは、歴史の教科書なんかで見たベルサイユ宮殿の内装にそっくりなのだけれど。
となると、今いるのは王子様とお姫様が住むお城というものなのだろうか。皇子様のテオドシウスがいて、陛下とやらがいるところなのだからどう考えたってお城だろう。
(六畳の茶の間が一番広いという家賃二万五千円のアパートに住むあたしが、なんだってお城に足を踏み入れてるんだろう。だいたいお城なんて修学旅行で行った大坂城ぐらいしか入ったことないんですけど………)
先を行くマチェイの背中をぼんやりと見つめていると、繋いだ手がぎゅうと握られた。引き攣った顔の尊をテオドシウスが不思議そうに見上げている。
「どうしたの、ミコト?」
「うーんと……ちょっと、緊張してるかも」
城にいるだけでも心臓に悪いと言うのに、陛下に会いに行くなんてもはや悪い冗談としか考えられない。
陛下と言えば王様のことだ。王様と言えば最高権力者のことである。
王様に会う時の行儀作法なんか何一つ知らないが、フォローしてもらえるのだろうか。とりあえず、ディア・ガディアスはセリーヌに預けてきたので、打首になるような失礼なことを仕出かすことはないだろう。
テオドシウスと繋いだ手をゆらゆらと揺らしながら、緊張を解そうと質問をする。
「陛下ってテオのお父さんなんだよね」
「ううん、僕の兄様だよ」
「ん?じゃあ、テオのお父さんはご隠居したとか?」
「父様は三ヶ月前に亡くなったんだ。だから、今は兄様がノルマールの新しい皇帝」
「あ……そう、なんだ」
知らなかった。
父親を亡くして三ヶ月では、まだ心の傷が癒えていないだろう。それでも、テオドシウスは哀しみに目を伏せることがない。
(優しいだけじゃなくて強い子でもあるんだなぁ)
本当に十二歳とは思えない子供だ。自分が十二歳の時のことを考えると……剣道に明け暮れていた記憶しかない。
感動していると、テオドシウスがぽつりと呟いた。
「正確にいうと、兄様ははまだ皇帝じゃないんだけどね」
「え?」
「先代皇帝が身罷られてから99日間は喪に服すの。100日目に第一皇位継承権を持つ人が皇帝の儀を経て、皇帝になるんだ。それまでは、皇帝代理なの」
「100日も皇帝がいないと大変でしょ?」
「うん。皇帝代理だと権限がないから、国内のことはもちろん国外のことも口を出すことが出来ないんだ。国のことは三大老に任せればいいんだけど、列強会議には皇族しか参加できないから外交には不利になる。100日は長いよ。ノルマール建国時からある風習みたいだけど……悪習だよね。おかげで他国に付け入る隙を作ってしまう」
言っていることは何となくでしか理解が出来ないが、とりあえず皇帝になれない間は大変なのだと分かる。
小さな溜息をつくテオドシウスは、無邪気に微笑んでいた彼からは想像も出来ない。もともと聡明さを感じさせる子供だったが、初めて彼がこの国の皇子様なんだと実感した。
「でも、兄様が皇帝になるまで、あと7日だから。少しは混乱も収まると思うんだ」
そう言って微笑むテオドシウスに尊は無言でこくこくと頷いた。王族というものの片鱗に触れて、なんだか圧倒されてしまったのだ。
十二歳のテオドシウスに圧倒されて、皇帝に会って大丈夫なのだろうか。なんだか余計に不安が増えてしまった気がする。
「はい。お待ちどうさん」
足を止めたマチェイが振り返る。
その先にあるのは大きな両開きの扉。前には槍を持った兵士がいる。
「
そう言って兵士に開扉を促すマチェイは、今までのいい加減にも感じる態度が嘘のようだった。気のいい近所のお兄さんにしか見えなかったマチェイが、今なら騎士と言われれば納得するだけの威厳に満ちている。
兵士たちは敬礼をすると、重たそうな扉を二人掛かりで開ける。
「ミコトちゃん、入っていいよ」
完璧に腰が引けている尊を手招きで呼ぶマチェイ。
テオドシウスが手を離す様子はないので、どうやら手は繋いだままでOKらしい。
竦んでしまっている足を進めて、恐る恐る室内を覗き見る。思っていたよりも広い室内と高い天井に驚きつつも、室内の真ん中に位置する人に目を移した。
(この人が………へーか?)
尊と目が合ったのは、茶髪に鳶色の瞳をした青年。年の頃は二十代後半だろうか。煌びやかな椅子に座っていることといい、立派な毛皮のマントを着ていることから彼がテオドシウスのお兄さんなのだろうと予測する。
けれど、想像していたよりも地味な外見に拍子抜けしてしまった。いや、見た目だけで言えば綺麗な整った顔をしているのだが。
よく言えば人の良さそうな、悪く言えば垢抜けない……そんな見た目の青年だ。衣装負けしている感が否めない。
青年は尊の顔を見つめたかと思うと、急に椅子から立ち上がる。そして、マントを翻して早足で尊に向かってきた。
え?と思う暇もない。気が付いたときには尊は青年の腕の中にいた。
「ありがとう!」
「へっ?」
「テオドシウスを救ってくれてありがとう!君がいなければもう二度とテオドシウスに合うことは出来なかったかもしれない。本当にありがとう!!」
尊に礼を告げながら、青年は尊を抱擁する腕に更に力を篭める。
あまりに突然の事態に尊はうまい反応も出来ずに固まることしかできない。
「兄様、ミコトが困ってる」
テオドシウスのマントをくいくいと引っ張っての忠告に、青年は漸く我に返ったらしい。尊の肩を掴んで慌てた様子で飛び退いた。
「ご、ごめんなさい!嬉しさのあまり、つい………っ」
尊に向かって何度も頭を下げる青年に、尊は目を瞬くことしか出来なかった。
こんなに全身で感情を表す人は久しぶりに見た。というか、皇帝がこんなにほいほいと一般市民相手に頭を下げていいのだろうか。
そう思ったのは尊だけではなかったらしい。
「…………レオンハルト皇子」
椅子の脇に立っている、眼鏡をかけた男がコホンと咳払いをする。
厳しい教師のような雰囲気を醸し出している男に名前を呼ばれた青年は、怒られた生徒のようにピシッと背筋を正した。
「う、うむ……その、テオドシウスを救ってくれたこと感謝する」
言ってから深々と頭を下げるレオンハルト。
口調は威厳を保っているけれど、結局は頭を下げてしまっている。自分でもそれに気付いたのかハッと顔を上げ、怯たように後ろを振り返って眼鏡の男の様子を探っている。
「っぷ」
ついに尊の口から笑いが漏れてしまった。
相手は陛下。笑ってはいけないとは思うのだが、どうしても笑いは収まりそうにない。
ふるふると腹筋が震えている。限界は近い。
「……ぷ、くく…………あはははははっ!!」
押さえきることが出来なかった。ツボに入るとはこのことだ。ただでさえ笑い上戸なのだ。仕方ない。
自分よりも年上の青年が慌てふためく様は、可愛らしくて面白かったのだ。
「あはははははははっ!………………っは」
お腹を押さえながら豪快に笑い、不意に冷静になる。それはもう、血の気が引くように一気に冷静になった。
(し、しまった……)
陛下の失態を大笑いしてしまった。しかも、お腹を抱えて。
失礼にも程があるどころか、相手は一国を治める皇帝(代理)だ。どんな罰を与えられたっておかしくはない。
打首だ、極門だ、磔だ!
顔面蒼白のまま口を押さえて俯いていると、
「ふふっ」
小さな笑い声が聞こえた。
驚いて顔を上げると、レオンハルトが口許を押さえてくすくすと笑っていた。
「こんなに豪快な笑い声を聞いたの久し振りだよ。そんな面白いことしたかな、私」
てっきり斬り捨てられると思っていたのに、陛下は予想外にも首を傾げている。
「面白かったよ、兄様」
「ええ。とても滑稽でした」
無邪気に笑うテオドシウスと、冷たい笑顔で辛辣なことを告げる眼鏡の男。
けれど、眼鏡男の毒舌はレオンハルトには通じなかったようで、彼は照れたように頭をかいている。
「レオンハルト皇子。立ち話ではお客人もお疲れになりましょう。場所を移動しては如何ですか?」
「うむ、流石はルーファスだな。では、部屋を移ろう」
眼鏡男……ルーファスに威厳たっぷりに重々しく頷いてから、レオンハルトが振り返る。
「甘い物は好きかな?」
にっこりと尊に笑いかけてくる笑顔は、テオドシウスの笑顔によく似ていた。
◇◆◇
先ほどの広間よりも小さな……とはいえ、充分に広い部屋に移った尊は優雅なティータイムを過ごしていた。侍女が運んできたケーキを食べ終わる頃には、気持ちも落ち着いてすっかり緊張も解れていた。
「―――というわけで、気が付くとそこにいたんです」
どうして自分がテオドシウスの元にいたのかという経緯を話した尊は、しゃべり過ぎた喉を潤すために紅茶を飲む。
すかさず控えていたルーファスが空になったカップに紅茶を注いでくれる。どうして身分の高そうなルーファスが給仕をしているのだろうかと疑問に思いながらも頭を下げた。
尊の正面に座り、熱心に話に耳を傾けていたレオンハルトは真剣な表情で頷いた。
「そうか。ミコトは違う世界から来たんだね。……マチェイ、どうして教えてくれなかったんだ?」
「俺も初耳ですって、陛下。だいたいミコトちゃんと俺が話したのなんて、5分がいいとこですよ」
レオンハルトの隣りには陛下が直々に誘ったマチェイが座っている。
丁寧な口調を使ってはいるものの、彼からも陛下を敬う態度は見えない。ルーファスといい、マチェイといい、この国には陛下に敬意を払うという習慣がないのだろうかと疑ってしまう。
「『チキュウ』か……。不思議な響きの世界だね」
「
「髪?」
「………陛下。ミコトちゃん、女の子だからね」
「えっ!?」
マチェイの言葉を聞いて、レオンハルトは驚きの声を上げる。
持っていたティーカップを慌ててソーサーに置いた。
「だ、だって髪が……っ!」
「だから、チキュウにはそう言う習慣がないんでしょ。っていうか、抱き着いておいて気付かなかったんですか?」
「そりゃ少年にしては小さいし、可愛らしいなとは思ったけど!ルーファス、お前は気付いて―――」
「どう見ても少女でしょう」
「そ、そんなっ」
淡々と告げるルーファスに動揺して椅子から立ち上がるレオンハルト。この従者には主を庇おうというつもりは毛の先ほどもないらしい。
「ミコト、兄様に悪気はないの。先入観だから責めないであげて。ミコトはちゃんと女の子に見えるよ」
「………ん。いいの。カブトムシにも劣るあたしが悪いだけだから」
おかわりのケーキにぐさりとフォークを突き刺し、尊は涙ながらに呟いた。
甘くて美味しいケーキに心を慰められた尊は、ずっと感じていた疑問を聞いてみようと口を開いた。
「あの、陛下。聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
首を傾げながら尋ねると、レオンハルトは不機嫌を隠そうともしないで眉間に皺を寄せた。
陛下を前にして自分から発言なんて図々しかっただろうかと戸惑っていると、彼は低い声でぼそりと呟いた。
「………陛下はやだ。レオンって呼んで」
「はっ?」
予想を大いに外した台詞に、尊の口が半開きになる。
「レオンハルト皇子。何を阿呆なことをおっしゃっているのですか?」
眼鏡の奥のグレーの瞳を冷たく凍らせているのはルーファスだ。視線を向けられてもいないのに、尊の背筋が凍るほどの迫力である。
けれど、レオンハルトはその視線を送られることに慣れているらしい。顔色を変えることもなく、拗ねたように唇を尖らせた。
「だって、父上が亡くなられてから城中が陛下、陛下って……。私の名前を呼んでくれるのは今やルーファスとアガサだけじゃないか」
そう言ってツーンとそっぽを向く、一週間後に一国を治める皇帝になる予定の青年。
皇帝云々の前に、二十代後半の男がする仕草ではない。しかも、何が怖いって違和感を感じないところだ。
(っていうか、アガサって誰?)
「アガサは兄様の乳母だよ」
こっそりと耳打ちしてくれるテオドシウスは本当に空気が読める子だ。
「ミコトは異世界から来たんだから、私のことを陛下と呼ぶ必要はないだろう。だから、レオンって呼んでよ」
「え、えっと……」
陛下からのお許しが出ても、『はい、分かりました』と頷く訳にはいかないだろう。いくら尊が異世界の人間といえど、流石に陛下を名前で呼ぶというのはまずいと思う。
けらけら笑うマチェイと、にこにこ微笑むテオドシウスでは戦力にならない。助けを求めるようにルーファスを見つめると、彼は深々と溜息をついた。
「申し訳ありません、ミコト様。ご迷惑でなければ、レオンハルト皇子の言う通りにしていただいてもよろしいですか」
「はあ……」
こちらとしては陛下などと使ったことのない単語を使うよりかは、名前で呼ばせてもらう方が気が楽だ。
しかし、一般市民が次期皇帝を名前で呼ぶことをこんな簡単に許していいのだろうか。
そういえば、皇子様であるテオドシウスへの口の聞き方も注意が全くされていない。どれだけフレンドリーな皇族なのだろうか。
「それじゃ……レオンさんに聞きたいことがあるんですけど」
「うん!」
気を取り直して名を呼ぶと、レオンハルトは嬉しそうに返事をする。何だかなぁと思いつつ、尊は気になっていたことを尋ねた。
「テオを攫った人たちのことって何か分かってるんですか?」
犯人は捕まっていない。そうなると、再犯だって考えられる。文化が違い過ぎるこの世界で、彼らが何かの対策を打っているだろうかと気になった。
「………それがこんな時期だから心当たりが多すぎて」
「もうすぐレオンさんが皇帝になるからですか」
「そういうこと。陛下の方に警護を増やしてはいたんだけど、まさか坊ちゃんが狙われるとは………」
思ってもみないことだろう。
もし、ノルマールに敵対勢力がいるにしても狙うならば皇子ではなく次期皇帝のはずだ。
「解せないのは、テオドシウス皇子をディア・ガディアスの媒体にしようとしていたことです。媒体にしてしまえば人質としての利用出来ません。高位の
つまり、敵の正体どころか目的も分からないということか。それではどうやって再犯を防ぐつもりなのだろうか。
不安になって口を閉ざしていると、机の上で指を組んだレオンハルトが力強く告げた。
「大丈夫だよ、テオ。こんな事態は二度と起こさない。お前は私が必ず守るよ」
包み込むような笑顔でテオドシウスに微笑みかけるレオンハルトの姿が佐奈に重なった。
(佐奈ちゃん……どうしてるのかな?)
自分が突然、姿を消して佐奈はどう思っているだろうか。きっと、とても心配しているだろう。
父と母が亡くなって二人きりの家族だったのに、彼女を一人にさせてしまっている。あの時、絶対に佐奈を一人にさせないと誓ったのに。
考えると胸が苦しくなって、目の奥が熱くなる。
口を引き結んで俯いていると、ふわりと頭に手が置かれた。
「ミコトも大丈夫だからね。宮廷魔導師の全総力を上げて、チキュウに帰れる方法を探すから。それまでは好きなだけここにいていいんだよ」
机の上に身を乗り出したレオンハルトがあやすように尊の頭を撫でる。
尊を見つめる優しさに満ちた瞳は佐奈によく似ていて、少しずつ哀しみが引いていく。
何でこんな世界にきてしまったのだろうかと自分の身の上を嘆いたけれど、それでもきっと自分はすごく幸運だ。だって、こうして優しい人たちに出会うことが出来たから。
(クライブさんや布の人に会った時はどうしようかと思ったけど、捨てる神あれば拾う神ありだよね)
あのまま囚われの身になっていたら、間違いなく人間不信になっていただろう。けれど、尊はテオドシウスやレオンハルトたちに会うことが出来た。
だから、尊は泣くのではなく笑うべきだった。
「ありがとう、レオンさん!お礼しか言えなくてごめんなさい。もし、人手が足りないとか、困ってることがあれば言ってくださいね。あたし、何でもしますから」
尊に出来ることなど限られている。
けれど、ただお言葉に甘えてお世話になると言うのは気が引けた。というか、尊の性格上そんなことは出来ない。
尊の申し出にレオンハルトは意外なものを見るかのように目を丸くしてから、嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、色々と相談に乗ってもらおうかな。別の世界から来た人の考え方って参考になりそうだから」
「任せてください!」
拳を握って頷いた。
いい提案が出せるかは分からないが、頑張るのみだ。
こんな身元不明者を寛大にも受け入れてくれたのだから、少しでも恩を返したかった。
「レオンハルト皇子、お時間です」
柱時計に視線を送って告げたルーファスの言葉に、レオンハルトが眉を寄せる。
「もう少しいいだろう。せっかくミコトとお茶をしているんだから」
「そうおっしゃると思い、既に限度の時間まで譲歩しています」
「後もう五分だけ!」
手を合わせてお願いするレオンハルトに、根負けしたかのようにルーファスが口元に微笑を浮かべる。
「仕方ないですね」
「ありがとう、ルーファス!!」
「後五分遅れるようでしたら、首に縄をつけて連れて行きます」
「ごめんなさい。今すぐ行きます」
根負けした微笑ではなく、我慢の限界の冷笑だったらしい。
レオンハルトはきびきびと立ち上がると、慌てて部屋の出入り口へ向かう。
「慌ただしくてごめんね。テオ、警護は完璧にするけど、危ない場所に近付いちゃだめだよ。ミコトは自分の家だと思って好きなだけ寛いでね」
「行きますよ、レオンハルト皇子」
「しばらくは会えなくなるけど絶対に時間作るから!またお茶しようねーっ!!」
ルーファスに首根っこを掴まれ引き摺られながらも、こちらに手を振るレオンハルト。彼が皇帝らしくないことよりも、ルーファスのレオンハルトに対する雑な扱いに目を瞠るしかない。
レオンハルトを見送って少し呆気に取られていると、
「驚いたでしょ」
紅茶を飲んでいたマチェイが悪戯っ子のような目でこちらを見つめていた。
「えっと、まあ……色々と。想像とは違うもんだなぁって」
「陛下は少し特殊な育ち方をしてるからねぇ」
「特殊な育ち方?」
「あの方は殆ど平民育ちだから、身分とかよく分かってないんだよ」
「………え?」
思っても見なかった特殊さに目が点になる。
なんで次期皇帝になる皇子が平民育ちなのだろうか。国の方針であれば、とても画期的なものである。というか、なんでそんなことをするのか意味が分からないくらいに先鋭的だ。
「城の奴らが知ってることだから、どうせ後で耳に入るだろうし。変な情報が入っても困るから、先に話しておくよ。………いい、坊ちゃん?」
「うん。マーチの説明が一番分かりやすいし……悪意がないから」
悪意という言葉に首を傾げる。レオンハルトに悪意を持つ人など想像がつかなかった。
けれど、皇帝になる人ともなれば人柄など関係なく恨まれたり憎まれたりするのかもしれない。
「ノルマール先代皇帝には五人の子供がいて、陛下は第二皇子。そうなると普通は第二皇位継承権がもらえる」
五人というのは初耳だ。となると、まだテオドシウスの兄弟三人に会っていないようだ。
後三人の兄弟はどんな人なのか聞いてみたい気もしたが、取りあえず今は口を閉じてマチェイの説明に耳を傾ける。
「けど、陛下の母親ってのが平民の出自でご兄弟の母親たちの中でも一番身分が低かった。そのせいで、最終的には皇位継承権は坊ちゃんよりも低かった」
「テオよりも?」
ということは、テオドシウスとレオンハルトの母親は違うということになる。そこにも少し驚いたが、日本だって昔の偉い人には奥さんが何人もいたわけだし……。
十歳以上も年が下のテオドシウスよりも皇位継承権が低いということは、ノルマールは身分に厳しい国のようだ。
………出会った人たちを見ると、とてもそうは思えないのだが。
「だから、誰も陛下を重要視してなかった。なんてったって、皇帝から一番遠い皇子だからね。それをいいことに、あの方は城を抜け出しては母君のいる街に行ってた」
「レオンさんのお母さんってお城にはいなかったんですか?」
「そ、城に入ることを最後まで嫌がってたから。だから陛下は余計に城を抜け出してたんだろうね。もちろん城の連中はそのことを知ってたけど、まあ好きにさせてあげましょうってことで放置。結果、あの妙に親しみやすい性格が出来上がったわけ」
「なるほど……」
まさか、皇子様が市井育ちだったとは。
通りで威厳がまるでなく妙に親しげなわけだ。陛下と呼ばれるのを嫌うのにも納得した。
「それで、なんでレオンさんが皇帝になることになったんですか?」
「まず、第三皇位継承権を持つオルフェウラ皇女が巫女になったから継承権を剥奪。それから、第二皇位継承権を持つイーヴァイン皇子が色々あって継承権を放棄。で、坊ちゃんはこの通りまだ幼いから十五歳になるまでは継承を一時停止」
そうすると、第五皇位継承権を持っていたレオンハルトは第二皇位継承権にまで繰り上がったことになる。
けれど、まだ第一皇位継承権を持つ人がいるはずだ。その人はどうしたのだろうか。
「で、第一皇位継承権を持つアークライム皇子。この人は頭も切れるし、腕も立った。皇帝に相応しいって誰もが認めてたんだけどね。それが何故か………五年前に行方不明になった」
「いなくなっちゃったってことですか」
「うん。本当に突然だったみたいよ。従者が朝、アークライム皇子を呼びに寝室へ行くと影も形もなかったんだと。原因は分からず、今も行方不明のまま」
「はあ……」
想像を超える話にそう言うしかなかった。
まるで喜劇みたいなラッキーで、レオンハルトは皇帝の座に付くことが出来たのである。
「悪意って言うのはそこから。兄様がアーク兄様を排除したんじゃないかって、一部の人の間では思われてる」
「ええっ!?」
テオドシウスの言葉に目を丸くする。
確かに推理小説ではありきたりな設定だが、あのレオンハルトを見てしまうとそれはないだろうと思ってしまう。
そんな野心がある人にはとても見えない。
「なんでそんな話が!?っていうか、テオのお兄ちゃんとお姉ちゃんが継承権をなくしたのはたまたまなんだよね?それなら、レオンさんにそんな考えがあるわけないと思う」
「ありがとう、ミコト。そう言ってもらえると嬉しい」
ぶんぶんと首を横に振っていると、テオドシウスが嬉しそうに微笑んだ。
テオドシウスの反応をみる限りだと、裏で色々と言われているのかもしれない。仮にそんな噂があったとしても、幼い皇子に聞かせるとはどういうことだ。
「まあ、ミコトちゃんの言う通り、そんなこと言ってるのは一部の奴だけどね。平民上がりが皇帝になるのが許せないんでしょ」
あんなにいい人なのに敵がいるんだと思うと悲しくなる。端で聞いている尊ですらそうなのだから、レオンハルトはもっと辛いだろう。
王様というのも贅沢三昧の羨ましい生活に見えて、以外と大変なのかもしれない。
(智子、お姫様も楽じゃないみたいだよ)
金欠になる度に口癖のようにお姫様に生まれたかったと叫んでいた智子に心の中で呟いた。