BACK  >> NOVEL  >> NEXT
2010/10/06 掲載
3章 : ノルマール、という国 1
カーテンの隙間から燦々と降り注ぐ朝日を浴びて、尊は不快そうに眉を顰めた。
もう少しだけ眠っていたい。
そう思いながら枕に顔を埋めて、

「バイト!!」

上掛けを跳ね飛ばして目を覚ます。
新聞配達のバイトに向かうのは、常に朝日が昇るよりも前だ。こんな時間に目覚めては遅刻は免れない。
慌てて着替えようとベッドから降りたところで、漸く本当の意味で目を覚ました。

「あ……そっか。そうだった」

誰に言うでもなく独り呟いて溜息をつく。
自分は今、異世界ネフィーリアにあるノルマールという国のレオンハルト陛下のお客人という立場だった。
バイトどころか学校にも行かなくていいのである。衣食住の心配がないというのはありがたいことだ。
すっかり目が覚めてしまったので、二度寝する気にもなれない。
ベッドを見ると、ディア・ガディアスが幸せそうにいびきをかいている。かなり大きな声で叫んだのによく起きないなと感心しながら、その身体にそっと上掛けをかけてから窓に近寄った。
ビロードの厚いカーテンを開けて日差しを部屋の中に迎え入れた。

窓から見える空は晴れ渡っていて、雲一つない青空だ。太陽の高さを見る限りでは季節は夏のように思えるが、気温はそれほど暑いとは感じないので夏の初めぐらいだろうか。
まあ、この世界に四季があるとは限らないのでなんとも言えないが。

「これがノルマール……テオの国なんだ」

窓から見える壮大な景色に圧倒され、尊は口を開けたままそれを眺めた。
すぐ下にはアートのような庭園。お得意の東京ドーム○個分と言いたくなるような広さだ。いくつか小さな建物もあるが、そのどれもが美しい建物だ。早く外側から城を見てみたくなる。
ノルマール城は高台にあるらしく、まるで絵画のように城下の街並みも良く見えた。城からは少し離れた街には建物が外観を壊さない程度に密集し、人口が多いのだろうと判断が出来る。想像していたよりも栄えている国なのかもしれない。

眼前に広がる景色を見つめ、小さく息をつく。安堵とも溜息とも違う微妙な吐息。
昨日は精神的な余裕が一切なく、国の様子を知るどころか気温を感じることも出来なかった。
そう考えると、今は自分の気持ちも落ち着いてきているようだ。少し楽しむ余裕が出来てる。
佐奈のことを考えると不謹慎かなとも思うが、暗く落ち込み続けているよりはずっといい。

「さて、テオが来るまで何してようかな」

勝手に城の中を歩き回るのは怖いので、テオドシウスが迎えに来てくれるまで部屋を出るつもりはない。
何か暇を潰せそうなものはないかと部屋の中を見回していると、壁に掛けられた木刀を見つけた。

「………素振りでもしよっと」

異世界に来てるのに、何でいつも通り?と自分自身に突っ込みを入れながらも、尊は木刀を手にする。
朝練は長年の習慣なので何となく練習をしないと落ち着かない。出来れば、相手が欲しいのだが………。
ベッドで眠るディア・ガディアスに視線を送ってから頭を振る。いくらなんでも、ぬいぐるみには無理だ。
苦笑を浮かべ、木刀を構える。呼吸を整え、真っ直ぐと前を見つめて木刀を振り下ろした。

「えいっ!」

何度か素振りを繰り返しているうちに、尊の脳裏に一人の人間の姿が浮かんでくる。
黒色の鎧で身を包み、漆黒の仮面をつけた長身の男。

(強かったよなぁ、クライヴさん……)

頑丈そうな鎧はかなりの重量があるだろうに、ものともしない素早い動き。振り下ろされた剣は、鋼だからという理由だけでなく重たかった。
圧倒的なまでの実力の差。剣を交わらせることさえも出来なかった。
筋トレを増やすべきだろうか。
素振りを中断して自分の腕を見つめる。
性別故に多少の差はあるが、道場や学校の男子と試合をして筋力で不利になったと思ったことはない。やはり根本からの鍛え方が違うのだろうか?
ライラークやマチェイだって、見惚れるほどに鮮やかな剣技を披露していた。今まで見てきたものが児戯に見えるほどの剣技。

「そりゃあ、世界一平和な国の高校生と騎士っていう職業がある世界に生きる人たちじゃ実力は違うのは当然だろうけどさ」

それでも悔しいものは悔しい。
確かに尊が行ってきた剣道は、彼らとは違い生死に関わるものではない。それでも十年間、真剣に取り組んできたのだ。あっさり負けるというのはプライドが許さない。

「よし!打倒クライヴさんだ!!」

打倒敬史から切り替えだ。目標は高いに越したことはない。
拳を握って新たな目標に燃えていると、軽やかなノックの音が聞こえてきた。

「はいはーい」

テオドシウスだと思ってドアを開けると、廊下には一人の女性が立っていた。

「あなたがミコト様ね。はじめまして」
「え?」
「テオドシウス皇子の命でミコト様にお仕えすることになった、イルマ・パネルよ。よろしくお願いするわね」

後頭部で一つにまとめられた金色の髪。知的な光を宿す切れ長の目に、フレームの細い眼鏡を掛けた美女は、いわゆる才女、または教師と言う雰囲気を醸し出している。
けれど、尊を見つめて浮かべた笑みはとても優しい。同じく教師みたいだと印象を持ったルーファスより親しみの持てる笑みだ。

「え、あ、よ、よろしくお願いします。………あの、お仕えするって?」

また大げさなことになってしまっているのだろうかと不安そうに眉を寄せる尊に、イルマはじっと尊の顔を見つめてくすくすと笑い出した。
自分の顔を見つめて笑われると言う事態に、尊は恥ずかしくなって顔を赤くする。変なことを言ってしまったのだろうか。
尊の居心地悪そうな様子に気付くと、イルマは慌てて頭を下げた。

「ごめんなさいね。皇子の仰るとおり、素直で可愛らしい方だと思って」

可愛らしいと言われ、先ほどとは違う理由で頬を染める。
お世辞とは分かっていながらも、少年やら男の子と散々言われた後だと嬉しい。

「ミコト様のことは皇子から伺ってます。ネフィーリアとは異なる世界から来たと……。だから、仕えると言うことを難しく考えないで欲しいの。そうね……日常生活のお手伝いさんだと思ってくれればいいわ」

イルマの申し出を聞きながら、そこにあるテオドシウスの優しさに気付いた。
一般庶民の価値観しかない尊には、護衛や侍女をつけられることや敬語を使われることは苦痛だった。
テオドシウスの命を救った者や陛下の客人などと扱われているが、尊はただの女子高生でこの世界では身元不明者だ。尊自身にかしずいたり、気を遣う必要は全くないのにと思ってしまう。
テオドシウスは尊の心情に気付いていたのだろう。
だから、イルマのようにさばさばとした人を寄越してくれたのだ。尊が気を遣わなくて済むようにと。
十二歳とは思えない心配りのできる少年だ。

「お世話になります。あと、ミコトって呼び捨てでいいよ」
「それじゃあ、私もイルマでいいわ」

イルマは満足そうにウィンクをする。
その仕草に一気に緊張が取れる。年の頃は佐奈よりも上に見えるが、茶目っ気のある人だ。

「まずは身支度を整えましょうね」

そう言って、いろいろなものが乗っている台車と共に部屋に入ってきた。
陶器の盥を机の上に置き、水差しから水を注ぐ。どうやら、この水で顔を洗うらしい。
水道がないって大変だと思いながら、ばしゃばしゃと顔を洗う。渡されたタオルで顔を拭いて顔を上げると、イルマの手にある栗色の塊に視線が向かった。

「それ、(かつら)?」

イルマの手には、尊の髪よりも遥かに手入れの行き届いた長い髪の毛があった。
真っ直ぐと伸びた髪は、緩やかなウェーブのかかった髪が多いこの国の人には珍しいものだ。

(かつら)じゃなくて(かもじ)よ。これなら蒸れなくていいでしょう。ミコトと同じ髪の色がこれしかなくて……」

つまり、今風に言えばエクステのようなものということか。これしかなかったということは、わざわざ同じ髪色のものを探させてしまったようだ。申し訳ない限りである。

「女性で髪が短いというのは、いらぬ嫌疑を掛けられることになるから。ミコトには申し訳ないけど、(かもじ)をつけてもらうことになるわ。(かもじ)が嫌なら少年の振りをすると言う手もあるけど」
「………誰一人、女の子だって気付かずに終わったら切ないから止めておく」

イルマはくすくすと笑いを零しながら、尊の後ろ髪に(かもじ)をつける。

「朴念仁ばかりでごめんなさいね。ミコトはこんなに可愛いのに」

はみ出ている襟足を整えながら、イルマは尊の瞳をじっと見つめる。
あまりに真剣に見つめてくるので、思わず息を止めてしまった。

「ミコトの世界には黒い瞳の人が多いの?」
「うーんと、色々だけどあたしの国には多い……っていうか、ほぼ全員が黒いかな」
「まあ、そんな国もあるのね。ネフィーリアには黒い瞳の人間はとても少ないのよ。特に女性で黒い瞳というと、一国に一人いるかいないか。だから、みんなミコトのことを髪が短い女性というよりも少年だと間違えたのよ」

それは初耳だったが、言われてみれば今のところ出逢った人々に黒い瞳はいない。
つまり、尊が少年に間違われていたのは女性なのに髪が短いということに付け加え、黒い瞳の女性は少ないという先入観もあったのだ。

(あたしが男の子みたいに見えるという理由だけじゃないんだよね!)

拳を握り締めながら自分自身に言い聞かせる。おかげで少しだけプライドが回復した。

「でも、テオは初めから女の子だって分かってくれたんだけどなぁ」
「テオドシウス皇子は………母君が同じ瞳の色をしているのでお分かりになったのだと思うわ」

そういえば、初めて逢った時にテオドシウスは尊を見つめて『お母様』と呟いた。
てっきり寝ぼけているのだと思ったが、人数の少ない黒い瞳が目の前にあったから勘違いしてしまったのだろう。

(あ、そうだ。テオのお母さんにはご挨拶ってしなくて大丈夫なのかな)

テオドシウスの父親が前・皇帝陛下なのだから、母親は皇妃様ということになるだろう。この国の権力がどういったものになっているのかは分からないが、テオドシウスの母親ならばちゃんと挨拶しておきたい。

「ミコト、終わったわよ」

考え込んでいた尊はイルマの声に我に返る。
目の前の鏡台に映るのは、長い栗色の髪を持つ少女。自画自賛になってしまうが襟足が伸びただけだというのに、ちゃんと女の子らしく見えた。髪型一つでずいぶんと印象が変わるものだ。

「うわ、なんか変な感じ」

髪の毛が肩より長いなど何年ぶりだろうか。確か両親が死んだ頃にばっさりと切って以来伸ばしていないので……十年振りだ。
背中に触れる重みに何となく落ち着かない。

「似合ってるわ。可愛さの中にも凛とした強さが見えて………」
「いや、褒めすぎ」

ぶんぶんと首を振ると、イルマは苦笑を浮かべながら尊にドレスを宛がった。

「ドレスはこっちの方が似合うかしら?」
「わぁ、綺麗なドレスだぁ」

イルマが選んでくれたのは淡い青色のドレス。
昨日、セリーヌが尊に着せたものとは違い、随分とシンプルな造りになっている。ただし、フリルやレースがないというだけで細やかで美しい刺繍が裾まで余すところなく入れられているドレスは素人の尊にすら値の張るものだと分かった。

「…………あの、こんな素敵な物を借りちゃっていいの?」
「はい?」

恐る恐る聞くと、イルマが首を傾げて不思議そうに尊を見つめる。
イルマの反応に、尊は恥ずかしさのあまり首筋までを朱に染めて縮こまるしかなかった。
てっきりこの服を貸して貰えるのかと、とんだ勘違いをしてしまった。きっとこの服は尊のサイズを調べるための見本だったのだろう。こんなに高そうで素敵な服を居候である尊に貸してもらえるわけがないではないか。
なんて図々しいことを言ってしまったのだろうかと小さくなる尊に、イルマが苦笑しながら口を開いた。

「このドレスはミコトの物よ」

今度は尊が首を傾げる番だった。

「あたし、ドレスなんて一着も持ってないけど……?」

きょとんと目を丸くしてイルマが手にしたドレスを見つめる。
ちょっとしたパーティーに着ていく華やかなワンピースすら持っていないのに、どうしてこのドレスが自分の物になるのだろうか。

「テオドシウス皇子からの贈り物よ。私が持ってきたものの他にもまだあるから安心して。皇子が直々に見立ててくださったのよ」

まだあると言われても、イルマがこの部屋に持ち込んだ物だけで五、六着ぐらいはある。いったい何枚のドレスが贈られてきたのか想像がつかない。

「本当は仕立屋を呼んだ方がいいかと思ったのだけれど、出来上がりに時間が掛かるから。仕立屋はまたでいいでしょう?」
「いえ、もう充分です………」

くらりと目眩がしそうになる頭を押さえ、仕立屋とやらを呼ぶことは丁寧にお断りを入れた。
駄目だ。一般庶民の感覚しかない自分にはすでについていけない。これ以上の服はいらないとテオドシウスに伝えようと心に固く誓い、着替えのために服を脱いだ。
セリーヌのドレスとは違い、シンプルな作りのドレスは着替えを手伝ってもらう必要もない。
(かもじ)を整えてから目の前にある姿見に視線を送り、尊はまじまじと鏡に映る自分の姿を見つめた。

「よく似合ってるわ。流石はテオドシウス皇子の見立てね」

イルマの言う通り、テオドシウスの見立ては完璧だ。
尊の苦手なフリルやレースは全くないドレスは、裾も広がっていないので動きやすい。
胸元で切り替えしが入っているだけのシンプルで機能的なドレスだが、美しい刺繍が地味な印象を与えない。
何より自画自賛になってしまうが、尊によく似合っていた。

「テオってセンスがいいんだねぇ〜」

知れば知るほど完璧な皇子様である。外見・内面と共に文句のつけようがない。数年もすれば、さぞかしもてることとだろう。
しかし、ここまで親切にしてもらっても尊には返すものがない。申し訳ない限りである。

「気にしなくていいのよ、ミコト」

眉を寄せて沈んでいる表情にイルマは尊の気持ちを察してくれたらしい。
優しく頭を撫でてくれた。

「確かにテオドシウス皇子は誰にでも……私たち使用人にもお心配りをしてくださるお優しい方よ。けど、ここまでお心を砕いている皇子は初めて見るわ。きっとあなたは特別なのね」

そう言うと、イルマは少し腰を屈めてドレスの裾を手であげると、見とれるような優雅な所作で頭を下げた。
映画などで見たことのある貴婦人の礼というやつだ。

「テオドシウス皇子を助けてくださり、ありがとうございました」

口調を改めたイルマは、目を丸くする尊に向かって深々と頭を下げる。

「皇子は私たちの……このノルマールの宝です。貴女が皇子を助けてくださったことは、どんな謝辞を述べても足りません」

心の底からの言葉だった。
ライラークやレオンハルト、セリーヌやイルマ。尊の出会った人たちの誰もがテオドシウスの無事を喜んでいる。
それこそどこの誰なのかもわからない、自分たちよりもずっと身分が下の尊を敬い頭を下げるほどに。
みんなテオドシウスのことを大切に思っているのだ。

「頭を上げてよ、イルマ。あたし、お礼を言われるようなことなんてしてないよ」

イルマの手を取って握り、顔を上げた彼女に尊はにっこりと笑いかける。

「助けるなんて偉そうなこと言っても、クライヴさんには負けまくりだし、階段で転けるし……最後には気絶しちゃうしさ」

思い出すだけで冷や汗が流れるほどの失態だらけだ。
みんなは尊がテオドシウスを助けたと言うが、実際にはほとんど役に立ってない。基本的には運でどうにかなったことばかりだ。

「あたしなんかより、テオの方が立派だったよ。生け贄にされそうになっても、自分の家から誘拐されても、グリフォンに襲われても泣かなかったんだから」

テオドシウスの勇姿を思い出しながら、うんうんと満足そうに頷く尊。
正直、尊の方が情けなさ爆発だった気がしないでもない。よくよく考えると12歳の子供に慰められる高校生っていったい……。
今度はうむむと眉を寄せて百面相をしていると、小さな笑い声が聞こえた。
イルマがクスクスと笑っていた。とても嬉しそうに。

「……皇子が貴女に心を開いたのもわかる気がするわ。ミコトは素直で優しい子ね」
「だから、誉めすぎ!」

誉めちぎるイルマに、尊は照れ隠しに唇を尖らせる。
お世辞とは分かっていても誉められれば素直に嬉しい。
我ながら単純だなぁと思っていると、握っていた手をぎゅっと握り返された。

「いつか帰るのは分かっているわ。けれど、この世界にいる間だけでいい。テオドシウス皇子のお傍にいてあげて」

真剣な表情をしたイルマが尊の手を握り締める。
そこにどんな思いがあるのかは分からない。けれど、イルマの表情や尊の手を握る強さから彼女の本気が窺えた。
だから、尊は頷いた。
どっちにしろ、今日からノルマール観光でテオドシウスとルゥとずっと一緒にいる予定だ。それにどちらかというと、尊だってテオドシウスの傍にいたい。
知らない国に知らない人ばかりの世界の中で、テオドシウスの存在に助けられているのは尊の方だ。

「ありがとう、ミコト」

ふんわりと優しい笑みを浮かべるイルマ。本当にこの国の人たちはテオドシウスが好きなのだなぁと再認識した。

「あ〜、よく寝たぜ」

大きな欠伸と聞き慣れた声に振り返ると、ディア・ガディアスが大きく伸びをしていた。どうやら、ようやく目が覚めたらしい。
結構な声の大きさでイルマと話していたというのに、今頃目が覚めるなんて本当にマイペースなぬいぐるみだ。

「って、誰だよ、テメェ!」

寝て起きると目の前に知らない人間がいたことに驚いたらしい。
ディア・ガディアスがすっかり警戒してこちらを睨みつけている。

「あら、お可愛らしい。あの方がポン太様ね」
「そうなの。ただ外見にはちょっとコンプレックスがあるみたいだから、本人には可愛いとか言わないでねー」

セリーヌの時に散々ヘソを曲げていたディア・ガディアスを思い出し、苦笑しながらイルマに注意する。
ディア・ガディアスにもイルマを紹介しようと口を開くと、仁王立ちした彼はこちらを睨みつけながら怒鳴った。

「テメェら、バカ女をどこにやった!?」
「…………は?」

思わず間の抜けた声が出てしまった。
バカ女というのは認めたくはないが、尊のことを指している。で、その尊が目の前にいるというのにこの台詞は如何に。
しかも、テメェらというのは複数系を指すわけだから、イルマだけではなく尊も入っているわけで……。

(まさか、ポン太……あたしが尊だって分かってない?)

いくら鬘を被って女の子らしくなったとはいえ、よく見れば尊だと言うことが分かるはずだ。
つまり、今の彼は目の前の少女が尊だと分からないほどに冷静さを失っているということだ。

「ぶっ!」

思わず吹き出した尊は、そのまま笑い転げた。
元々笑い上戸ではある尊だが、本当にディア・ガディアスは尊のツボを突いてくれる存在だ。
げらげらと笑う少女を前に、ようやく誰が尊なのか分かったらしい。ディア・ガディアスはプルプルと震える拳を枕に叩きつけ、無言のままそっぽを向いた。

「くひひっ……あー、お腹痛い〜。でも、ポン太が騙せるならあたしの変装もうまくいったかな」
「ええ、よくお似合いよ」

ドレスの裾を持ち上げてくるりと回る尊を、イルマが微笑みながら見つめる。
そんな尊を横目で睨みつけ、ディア・ガディアスが忌々しそうにぼそりと呟く。

「ッケ。本当に女装がお似合いのことで」
「女装じゃないし!正装だから!!」

異世界にきてから過敏になっている話題にすかさず食いつく尊。
こちらの世界に来てから散々男の子に間違われ、ただでさえ精神的ダメージが多いのだから、そこはそっとしておいてほしい。

「まあまあ、今は誰がどう見ても女の子よ」

取りなすように尊の頭をよしよしと撫でるイルマ。
『今は』というのが大いに気になるところだが、確かにディア・ガディアスでさえ間違えるほどの変身ぶりだ。
これならばもう男の子と間違えられることはないだろう。
つまりあれだ。男の子に間違われていたのは、やはり尊の髪が短いせいだったのだ。
決して自分が男顔というわけでも、胸が皆無だからというわけでもないのだ。
多分、恐らく、絶対にっ!!
拳を握り締めて自分に言い聞かせていると、ノックもなしに勢い良く扉が開いて小さな少女が飛び込んできた。

「ミコト、ルゥが来たゾ!!」

元気な声と共に腹に衝撃。
にんまりと満面の笑みで尊を見上げるルゥだ。昨日と同じようにニット帽のようなものを被っている。

「おはっ……げほっ!……おはよ、ルゥちゃん」

腹に受けた衝撃に咳き込みながら挨拶をすると、ルゥの目がまん丸に見開かれる。
それからふんふんと尊の胸に顔を埋めて匂いを嗅ぎ、ぐいぐいと(かもじ)を引っ張る。
いくら地毛ではないとはいえ、引っ付いているものを引っ張られるのは痛い。

「あたたっ。なに、どうしたの?」
「お前、ミコトだよな?格好ちがうけど匂いがミコトだ!ちきゅーのヤツは髪の毛のびるの早いのか?」
「いやいや、これは付け毛でね、イルマに付けてもらったんだよ」
「ふーん」

納得したのかしていないのかよく分からない生返事をして、ルゥは興味深そうにてしてしと(かもじ)を触っている。動物がじゃれているようで可愛らしい。
しかし、匂いって自分は何か特殊な匂いでもしたのだろうか。

「ルゥ。テオドシウス皇子はどうしたの?」

イルマの質問に、それまでご機嫌だったルゥが拗ねたように大きく頬を膨らます。まるで栗鼠が頬袋に食べ物を詰め込んでいるような顔である。

「テオは黎明の騎士団(ルツィーダ)のヤツと一緒だ。のろのろだからルゥが先に来た」
「あなた……いくらミコト様の護衛でも皇子を置いてきてどうするのよ」

呆れたように額を押さえながら、はぁ……と溜息をつくイルマ。
確かにいくら尊専属の護衛といえど、皇子を無視してはいけないだろう。
ルゥはというと唇を尖らせたまま、反省の色なくイルマの説教を聞いている。

「だってルゥ、黎明の騎士団(ルツィーダ)のヤツラ大っきらいだ」
「それはこちらの台詞だ」

割って入ったのは第三者の声。初めて聞く声だ。
声の聞こえた方に顔を向けると、ルゥが開け放した扉の外側に青年と女性、それからテオドシウスが立っていた。
青年たちの姿を見つけた途端、ルゥが慌てて尊の背中に隠れる。ぎゅうっと服にしがみ付きながら、威嚇するように青年たちを睨みつけている。

「僕だってお前のような獣と一緒にいたくなどない。皇子の頼みだから我慢しているんだ」

金色の長い前髪をかき上げて、青年が吐き捨てるように言う。
刃物のような刺々しい声は先ほどの割って入った声の持ち主で間違いない。こちらを見つめる目も声に劣らず冷たかった。
いきなりの登場であまりの言い種。尊は目を丸くして青年を見つめるしかない。

「あの、アル……」
「アルヴィド。皇子の御前ですよ。口を慎みなさい」

困ったように眉を寄せたテオドシウスが何かを言う前に、青年の隣に立っていた女性がやんわりと青年に注意をする。
青年はまだ何か言い足りなさそうな顔をしていたが、仕方なくと言った具合に口を閉じた。
テオドシウスも女性が注意したので自分がそれ以上は何かを言うこともないと思ったのだろう。気を取り直したように笑顔で尊に話しかけた。

「おはよう、ミコト。よかった、そのドレスよく似合ってる」
「え、そ、そう!?っていうか、ドレスありがとうね」
「遠慮しないで。ミコトはほとんど何も持たないでこっちの世界に来ちゃったんだから。他にも足りないものがあったら何でも言ってね」

テオドシウスの提案に曖昧に頷いておく。
正直、これ以上の迷惑をかけるわけにはいかない。衣食住さえあれば後はどうにでもなる。

「えっと……ところで、そちらのお二人は?」

片方は探るような視線。もう片方は不躾な視線。そんな視線を二つも送られて尊はやや引き攣った顔でテオドシウスに尋ねた。

「………僕の護衛だよ」

一瞬だけ言葉に詰まったように下を向いたテオドシウスだが、すぐにいつもの優しい笑顔で二人を紹介した。
護衛というとライラークだったはずだが、彼は現在療養中なので選手交代というところだろうか。
それにしてはルゥと険悪なのが気になるところだが………。

「あなたがミコト様ですね。(わたくし)黎明の騎士団(ルツィーダ)、第二騎士隊副隊長のジョアンナ・エーベルトと申します」

背筋を正して90度の角度で頭を下げるのは、探るような視線を送っていた女性だ。あからさまではないが、知らない世界に来て敏感になっている尊には相手が警戒していることが何となく肌で感じる。
しかし、笑顔の素敵な女性である。柔和な顔立ちでとても優しそうな女性だ。背中まで届く長いストレートの髪に、華奢とも思える身体付きだが、鋼の胸当てと帯刀が彼女を騎士なのだと裏付ける。
しかし、女性で副隊長というのはすごいのではないだろうか。

「………アルヴィド・キュオスティ」

対照的に愛想の欠片もなく自己紹介したのは、失礼なまでに不躾な視線を送ってきた毒舌の青年だ。よく見ると、年の頃は尊より一歳か二歳上くらいで、まだ少年なのかもしれない。
先ほどは話している内容に呆気にとられて気付かなかったが、どきりとするほどの美しい顔立ちをしている。男性にしてはやや高めの声さえ除けば完全に『美少女』だ。尊が今まであった人々の中で一番の綺麗な顔をしているかもしれない。
こちらに向けているのが全くの無表情というのがもったいない。

「あたしはミコト・ミネギシです。ジョアンナさんとアルヴィドさん、よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げると、にこやかな笑顔で会釈をするジョアンナ。対するアルヴィドは、会釈どころか何の反応も見せなかった。というか、すでに興味が失せたかのように尊に視線を向けることすらない。
これは流石の尊もカチンときたが、だからといって怒るほどのことではないので取り合わないことにした。気にしたら負けだ。

「今日はノルマール城の案内をしようかと思ってるんだけど、それでいいかな?」
「お城の案内!?うわ、すごく楽しみ!」

テオドシウスの言葉に尊はわくわくと心を躍らせる。
お城など見たことのない一般人からすれば、興味津々のツアーである。しかも、ノルマール城はとても広そうなので見応え十分だ。

「ルゥは城下に降りるほうがいいゾ」
「城下は明日、回ろうね。今日はお城の案内してアフタヌーンティーを楽しもう」

尊の服にしがみついたままのルゥが膨れっ面で呟くが、テオドシウスのアフタヌーンティーの提案にきらきらと目を輝かせて頷いた。

「それじゃあ、行こうか」

そういって部屋を出ていくテオドシウスに続いて、アフタヌーンティーはまだ先だというのに目を輝かせたルゥ。ジョアンナもすぐ後に続いた。

「ポン太も来る?」
「暇だし、行ってやる」

ベッドに近づいてディア・ガディアスに尋ねると、ぴょいとジャンプして尊の肩に飛び乗った。
着いていくと素直に言えないディア・ガディアスに苦笑しながらイルマを振り返る。

「それじゃ、行ってくるね」
「楽しんでいらっしゃい」

ひらひらと手を振るイルマに手を振り返し、テオドシウスたちを追いかけるために部屋を出る。
扉を開けた先には、アルヴィドが立っている。壁に寄り掛かってこちらを見ている彼に、眉を寄せて足を止めた。
尊だって鈍くはない。その視線が敵意を孕んでいることにすぐに気がついた。

「お前、異世界から来たのか?」

刺々しい声の質問に、尊は横目でテオドシウスを探す。
テオドシウスたちは思ったよりも先にいる。何事か談笑していて、こちらの険悪な雰囲気には気付いていないようだ。

「そうだけど………」

渋々と答えた尊に、初めてアルヴィドの表情が動く。
尊を見つめて口の端を吊り上げた。笑顔なんかじゃない。見下した笑い………嘲笑だ。
なまじ顔が整っているだけにこちらが惨めになるほどの嘲りである。

「お前のような頭のおかしな女が、どうしてテオドシウス皇子や陛下に取り入ったのかは知らないが余計な真似はするなよ。皇子に危害を加えようなどとしてみろ。僕が遠慮なく斬り捨てるからな」

そう言い捨てると、すたすたとその場を離れるアルヴィド。
呆気に取られて言葉を失う尊の代わりに、肩に乗ったディア・ガディアスがぽつりと呟く。

「殺れ。完膚なきまでにぶち殺せ」
「物騒なこと言わないでよ!」
「何であんなクソガキに偉そうなこと言われなきゃならねェんだよ!!ブッ殺してやれ!!」

自分が言われたわけでもないのに激高して喚くディア・ガディアスのおかげで逆に頭が冷えた。
初対面の人間にあれだけ悪意に満ちた言葉を言われたことには驚いたが、自分の立場を考えれば仕方ないことかもしれないと思えてきた。むしろ、あれが普通の反応で今ま出逢ってきた人たちの方が尊の言葉を疑いもなく信用してくれたいい人たちだったのだ。
正直、尊だって地球にいるときに見知らぬ人間に『私は異世界から来たんです』などといわれれば、まず相手の正気を疑う。
当然といえば当然の反応に怒るわけにもいかなかった。彼はテオドシウスの護衛なのだから不安要素は早めに排除したいのだろう。

「まあ、全く頭にこないわけじゃないけど………」

はぁと一つ溜息をついて、なかなか追いかけてこない尊に焦れて名前を呼ぶテオドシウスとルゥに返事をして歩みを進めた。
BACK  >> NOVEL  >> NEXT
Powered by NINJA TOOLS
Copyright (c) 2009 神送りの空 All Rights Reserved.
2style.net