柔らかな竪琴の音。まるでこの湖の様に。
湖の水は清らかに佇む。
僕は其れに手を入れた。
そしてみな底から
君を掬い上げた。

「グラ、グラ。」
ミシェルは名前を呼びドアを軽く叩く。
ドアの向こうから反応は無い。
「昨夜君で月光を弾いたのをまだ根に持っているのかい?ごめんってば。」
ミシェルは声を大きくして言う。やはりドアは開かなかった。

…だって、月が綺麗だったから。

優しく、指を落として。
グランドハンマーの鍵盤は音を生み出す。
まるで、月の光の様な
優しい、美しい音を。

君の体はとても綺麗な音をくれるんだ。
綺麗な月と、綺麗な君。
僕は嬉しかったんだ。

ドアを開けようとするが全く開かない。グランドハンマーが寄りかかっているの だろう。ミシェルは溜め息を吐き、ドアに背を預けた。
廊下の窓から空が見えた。昨日が嘘の様な曇り空だ。
月も星も無い、闇空。

「グラ。」
ミシェルは呟く。
「覚えているかい?あの日の事。」
君は、トール神のハンマーだった。
僕は天使で、君と住む世界が違った。
でも、僕は君に触れた。
違う世界の者同士が触れあってはいけなかったのに。
君の魂はその罪に嘆きの湖に落とされた。
コキュートスに。
僕は今でもルシフェルの竪琴の音を覚えている。
君の、叫び声もね。
綺麗な
綺麗な音が、
追放された僕を呼び寄せたんだよ。
そして僕は、
みな底から君を掬い上げた。

僕が君を掬い上げたのも
罪と分かっていて君に触れたのも
気まぐれだと思うかい?

「そんな昔話。」
低い声がした。ミシェルは向き直り、ドアに手をかける。
ドアはすんなり開き、ミシェルは大きな手に頭を持たれた。
そのまま、引き寄せられる。
ミシェルはグランドハンマーの胸に収まった。
「許してくれる?」
ミシェルは笑いながら腰に手を回す。
グランドハンマーは眉間に皺を寄せながらもミシェルにキスをしてきた。グラン ドハンマーの手は、ミシェルを包み込む。
「…グラ。」
ミシェルはグランドハンマーの高い肩に腕を巻き直す。
「こうやって敬語を使わないのは、君だけなんだよ。」
小さく笑うと、グランドハンマーは顔を背けた。恥ずかしがっているのだ。
「…知っとるわ。そんなこと。」
ミシェルはグランドハンマーの頬に手を添える。今度は、ミシェルからキスをし た。さっきよりも、長く、深く。
「ごめんね。月が余りにも綺麗だったから。」

君が静かな曲を嫌いなのを知っていたけれど。

グランドハンマーは鋭い目でミシェルを睨みつける。本気で嫌だったのだ。
「…今日は月が見えないから。」
「…だから?」
自分のシャツのボタンを外す。
「今夜は激しい曲を二人で奏でよう。」

月も星も無い、闇空。

そんな夜も美しいと思うんだ。

こうやって、居れば。

まるで、二人で、闇に溶けるような。


「グラ。」
ミシェルは覆い被さる様に耳元で囁いた。
「愛してるよ。」
返事はない。ミシェルはグランドハンマーの体をなぞる。
グランドハンマーは自分の体の上に寝そべるミシェルの背中に指を滑らせた。
「愛してる。」
ミシェルはもう一度呟く。
「大好きだよ。」
「…煩い。わかっとるわ。」
ミシェルは小さく笑った。グランドハンマーは怪訝そうな顔を向ける。

愛しているなどと。
言われずとも分かっておるわ。

月光を弾くその指付きは何時だって、


「…ミシェル。」
「ん?」
「今日は良い夜だな。」
「…そうだね。」

月、は、嫌いだ。
特に、満月や三日月の一層輝く月。
思い出す。
あの、日を。

コキュートスに落とされたあの日。

月が美しかった。


ミシェルは微笑む。

思い出すよ。あの日。
僕が天使で無くなった、あの日。

月が綺麗だった。

でも、良く思い出してごらん。

もう一つ、あの日。
コキュートスのみな底から
君を掬い上げた、あの日。

あの日の月は更に美しかった。


ミシェルは微笑む。


グランドハンマーも、口の端を少し上げた。


月は、

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