ビンセントが吐いた。
授業中の事だった。ビンセントは元から白い顔を更に真っ青にして、床に手を着 く。
皆ビンセントの周りに集まる。心配する声が一斉に上がった。ジーニーは少し遅 れてビンセントの側に行こうとしたが、生徒をかき分けてまで行く勇気は無かっ た。
ビンセントは再度嘔吐してから、ジーニーを見る。
ジーニーはビンセントに悪寒を感じた。
そんな状況で、ビンセントはジーニーに笑いかけたのだ。

白のカーテン、本の壁

ビンセントは保健室に行き、その日の後の授業には現れなかった。今日はもう自 分の元には現れないだろうと考えつつも、ジーニーは図書室に向かう。
「…ビンセント。」
図書室のドアを開いてすぐ、その青と黄色の姿が目に入った。いつもの様に、ジ ーニーにだけ見せる静かで不気味な笑みを浮かべている。
「……体調は、大丈夫なんですか?」
の問いには答えず、ビンセントはジーニーの手を取り本棚の列へ歩く。
此処は死角になる。そうでなくても図書室にジーニーとビンセント以外の人が入 るのは稀で、隠し事をするのには丁度良い場所だ。
ビンセントは時々、ジーニーを此処へ誘う。
「…今日は何なんです?」
ビンセントは微笑む。
ビンセントの笑顔が不気味と言う訳ではない。自分に向けるその表情だけ、何か 怖ろしく感じるのだ。

「ジーニー。僕、ジーニーとの子、妊娠したよ。」

何でもない事の様に、あっさりと言いのける。
流石のジーニーも、どう言い返せばいいのか思い付かなかった。
「最近、お腹が空く訳でもないのに何か食べたくなって。それでつい食べちゃう からああやって吐いたりするんだけど。ほら、これって確か妊娠の状態でしょ? 」
ジーニーは暫く何も言えなかった。自分も妊婦の知識がある訳ではないが、そう いう状態になるのは知っていた。しかし、だからと言って、其れは有り得ない。

そう、有り得ないのだ。

「そ、そんなことあるわけないでしょう!」
ジーニーが声を裏返して言うと、ビンセントは不思議そうに顔を傾けた。
「だ、だ、だって私達は男じゃないですか!それ以前に、私達は幽霊だし、そ、 それに…」
どうして、私とのと、
「僕達は不思議だよ?確かに妊娠したのは不思議だけど、僕達に有り得ないなん て事はないよ。それに……僕達は何回もやったじゃないか。」
今、何を、
「……ああ、ジーニーは本当に何も覚えてないんだね。」
そんなこと
「妊娠したのはいつのだろう。時間ギリギリで危なかったあの日かな。それとも 、月が綺麗だったあの日かな。保健室でもやったし、此処でもやった…」
そんなこと

白のカーテン、本の壁

チャイムの音
月の光
ビンセントの、

「ジーニー。」
ビンセントは不意にジーニーの腰に手を回した。ジーニーが小さく叫ぶのも気に せず、ジーニーの手を自分の腹に押し付ける。
「ほら、此処に、僕とジーニーの子供がいるんだよ。」
ビンセントの腹は男そのものの形をしていた。思ったよりもある腹筋の感触がし た。
「今はまだ出てないけどね。きっと僕はお腹が出ない体質なんだよ。」
ビンセントは一層嬉しそうな、一層不気味な笑みを向ける。


あれから図書室には行っていない。いつ行っても、ビンセントがいる気がした。 ビンセントに二人きりで会う事は出来なかった。
二人きりでなければビンセントはいたって普通だ。話しかけてくることもない。

それでも、その腹が少しずつ膨らんでいくのが目に付いた。

いつの間にかぼぅっとしていたらしく、ジーニーは肩を叩かれた。顔を上げてフ ォントンを見る。フォントンは紙と本をジーニーに見せた。
『悪いけど、この本図書室に返して貰えない?ちょっと用事あるから。』
ジーニーが読み終わると同時にフォントンは本を押し付けてきた。フォントンは そのまま走って行く。断る隙を与えなかった。
フォントンは申し訳なさそうに振り返り手を合わせる。ジーニーは暫くフォント ンの姿を見ていた。

ジーニーは、足を忍ばせ図書室のドアを覗く。ビンセントはいつも、右の机の一 番奥にいた。今はその姿が見えない。ジーニーは安堵の溜め息をつき中に入った 。
「ジーニー!」
聞き慣れた声が背後からする。気付くのが遅かった。すでに二人とも図書室に入 り、ビンセントの背後のドアは閉まっていた。
「ジーニー、やっと来てくれた。」
ビンセントは微笑む。
その腹の膨らみに、どうしても目が行く。
「ほらジーニー、少し大きくなったでしょ?」
ビンセントはジーニーの手を取り、少し膨らんだその腹部に触れさせた。
「最近よく蹴ってくるんだ。元気な子だよ。」
肥満とはまた別の、感触。ジーニーは気持ち悪くさえ思った。
「…ほら、今も蹴った。分かっただろう?」
ビンセントは愛しそうに腹を撫でる。
ジーニーには何も感じなかった。

嗚呼、そうか。

しゃがみこみ、その腹に耳を当てる。生命の鼓動は聞こえなかった。

…妄想妊娠。

ジーニーは立ち上がりビンセントの目を見る。
「…ビンセント。」
「…?何?」
ビンセントの目は黄色にうるんで
瞳の焦点は虚ろだった。

チャイムが鳴る。

ジーニーは逃げる様に図書室を出た。


白いカーテン、本の壁

ビンセントが倒れた。
放課後の、廊下で。
私は、
まるで仕組まれた様にその場に居た。
「…ジー…ニー…。」
ビンセントは少し膨らんだ腹を抱えてジーニーを見上げる。
「…ビンセント。」
保健室に運ばなければ
しかし、これは、
体が勝手に動いた。
ビンセントを抱え走る。
自分はこんなに速く走れたのか
誰に会い
何を言ったのかは覚えていない
ただ、覚えている
ビンセントをベッドに寝かせ、
その服を脱がせて
むさぼる様な接吻をして
白のカーテンが

頭は、何時もよりも軽かった

「嗚呼、私達の子が産まれるんですね。」
私の声
ビンセントの、笑顔
そしてその直後


目を開ければビンセントの水色の髪が見えた。
ジーニーは体を起こす。組み敷いたビンセントの肌がボンヤリと見えた。
眼鏡を手探りし掛けると、ビンセントが微笑んでいるのが見えた。
「何ですか?」
「ねぇ、何を見た?」
「何って?」
さっきの、夢?
ビンセントは小さく笑う。ジーニーはさっきまでの記憶をたぐよよせ、気付いた 。
「…あなたの不思議ですか?…さっき、キスの時に何か飲ませたでしょう?」
「良く分かったね。そう、僕の不思議だよ。何を見たの?」

白のカーテンと、

「…なんの不思議なのか教えてくれないのなら、言えませんね。」
「え、意地悪だなあ。…わかった。教えてあげる。あれは予知夢の不思議だよ。 」
「予知…夢?」
「そう、未来予知。まだ試しだけど、良い線行ってると思うんだ。」
未来。
「ねぇ、どうだった?教えてよ。」
「……なら尚更教えられませんね。」
「なんでさ、意地悪。」
膨れたビンセントにジーニーはなだめる様なキスをした。ビンセントはジーニー の背中に腕を回す。その細いの首に舌を這わせた。
「…あの不思議はまだまだ改良の余地がありますね。まず現在からの予知をしな ければ。」
そう、まずそこから。
あれは昔の感情だった。
自分の気持ちに気付く、前の。
「?どういうこと?」
ビンセントは不思議そうな顔をする。ジーニーはあえて何も言わなかった。
「でも、確にまだまだ完成じゃないよ。どこからどこまでが予知で、どこからど こまでがそうじゃないのかわからないし。」
「…そうですね。」

妊娠、嘔吐
月と、チャイム
逃走、疾走
偶然、必然
記憶、妄想
真実と、
キスの味

白のカーテン、

本の壁。


どれが、本当で、嘘なのか。
どれも、真実で、
どれも、虚像か、
産まれたのか、産まれなかったのか、
ビンセントは、


ジーニーは上を見上げた。
図書室の死角、二人の秘密。
そびえたつ本棚はまるで、本の壁。
組み敷いた彼の躰


嗚呼、まさか


今日、が


ビンセント、僕達は子供を産めると思いますか?

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